■2010年02月

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■イスラエル*エルサレム~テルアビブ(2010/2/10~)

イスラエルのエルサレムは、想像と違った。
正装したユダヤ教徒がこんなに多いとは!
つばの大きめな黒い山高帽に黒いスーツ、黒くごつい革靴。
ジャケットの裾からは、白い紐の房が出てる。
本格派になると、揉み上げを伸ばし、たて巻きにロールさせてる。
若い年頃の男性で、揉み上げをロールさせてない人は、どうみてもミュージシャンにしか見えないスタイル。
べーシストがこういう格好してるロックバンドを見たことあるけど、ユダヤ教徒のスタイルとは知らなかったよ。
今まで見てきた民族衣装の中でも、最も格好良くおしゃれなスタイルの一つ。

パレスチナ自治区もまた想像と違った。
パレスチナ自治区は延べ700キロの壁で囲まれている。
入るときは簡単だが、出るときは国境のイミグレと同じくらいのチェックがある。
まさに国境。

金曜日の夜の嘆きの壁は大騒ぎ。
ユダヤの団結を感じる。

ユダヤの休日の金曜の午後から土曜にかけては、交通機関を含め、町のすべての機能がストップする。
週に2日交通機関すらもストップする国を私は他に知らない。


そして行ってきました、死海。
こちらも想像とは大きく違っていた。
リゾート地っぽいのかと思いきや、恐竜時代の地球みたいな所に死海はあった。

そして今日は、日本で有名らしい「ガミラシークレット」という石鹸を作っている村を見学に行ってきた。

写真はまた今度アップします。


何もかも想像を超えてるイスラエル。

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■ヨルダン*アンマン1

amman1
ヨルダン、アンマンの街。
アブドゥラ国王の写真だらけなのだが、この王様、かなりイケメン。
シリアはアサド大統領の写真だらけだったのだが、私のタイプではなかった。
ヨルダンのアブドゥラ国王の顔はタイプなので、こんな写真もあんな写真も見ていて楽しい。

amman2
アンマンの地図。迷路。
こういう地図って初めて見る。

amman3
着てみたい。

amman5
パレスチナ難民キャンプのスークの下着屋のマネキンはほとんどこんなディスプレイ。
そんなに乳が見たいのか!?見たいんだろうなぁ。。。

amman4
パレスチナ難民キャンプの古着屋。
靴下やパンツまで売ってる。
中古の下着を売るって凄いなと思っていたら、買ってる人がけっこういた。
チベット政府のあるインドのダラムサラでもそうだったが、難民のいる町は、古着屋が多い。
各国からの援助品を売っているのだと思う。

■シリア*ダマスカス(2010年1月31日~)③

ダマスカスの街

ダマスカス1
ホテルから病院方向をつなぐ大きな道。ソニーの看板のビルの近くに私の宿泊ホテルがある。

ダマスカス2
ホテルとスークのあいだ

ダマスカス3
大使館エリアの近く

ダマスカスの駅跡
新しい駅が近くにできたので、古い駅は鉄道写真館のようになっていて、ホールでは古本を売っていた。

ダマスカスのスーク
かなり大きいスーク(屋根つきマーケット。日本で言えばアーケード商店街。)

ダマスカスのスークのスカーフ屋
ディスプレイがかわいい

ダマスカスの店
はくしょん大魔王を思い出す

ダマスカスのスークのアイスクリーム屋2
スークの中のお気に入りのアイスクリーム屋。毎日かよった。

ダマスカスのスークのアイスクリーム屋
シリア人にも大人気

ダマスカスのスークのアイスクリーム
ゲンコツ2個分もあって、50sp(100円)

ダマスカスのスーク突き当たりのモスク
ウマイヤ朝時代のウマイヤドモスク
壁のモザイクが今まで見たブルーのモザイクのモスクとはまったく違った。
緑色と金色のモザイク。

モスクのコーラン
ウマイヤドモスクの中。
コーランを初めて手にとって見た。
美しすぎる。
書かれているというか描かれている美しさは、デザインの本を見ているようで、読めなくても、しばらく眺めていた。
どのコーランも、本によってページのデザインが違って、同じ内容をこんなにたくさんのデザインで出している本って、他に知らない。
イスラムの美意識は高い。

ノックの手
ホテルのドアのノックの手。
民家のドアにもたまに、この手がついている。

ダマスカスの病院
私が検査に行った病院。

ダマスカスの病院2
病院内。


検査結果が出たのだが、なんともないとのこと。
結果書いた紙みたら、血液が混ざっているかどうかを調べてる!
アホかっ!
ジアルジアの虫がいるかどうか調べるのがスジだろうが!

私は誤診だと思っている。
病院の近くに英語が通じそうな綺麗な薬局があったので、
「ジアルジア用の抗生物質ください」と言ってみたら、
「下痢と吐き気があるのですね」と薬局の人は、すんなり薬を出してきた。
100sp(200円)。あららインドと同じ値段。
なんだー、処方箋なくても買えるんじゃん!!
初めから薬局行けば良かったよ。
この5日間は何だったんだ!
ま、この5日間で、アレッポで一緒に石鹸工場行ったHちゃんに偶然再会できたし、ヨルダンで死海に一緒に行こうって約束もできたし、これでいっか。

■シリア*ダマスカス(2010年1月31日~)②

昨日と今日のダマスカスは寒い。
太陽は出ているものの、時おり雪が降る。
積もるもどでもなく、さっと振っては止むのだが、気温はおそらくマイナスだろう。

今、体調不良で、ダマスカスの病院で検査してもらっている。
原因はおそらくジアルジアに違いない。

ジアルジアは、バクテリアのような虫が飲食物を通じて口から入り、腸の中に寄生する病気。
普段はなんら体調に問題はないのだが、時々激しい嘔吐と下痢にみまわれる。
一番の特徴は、これらの症状とともに卵の匂いのゲップが止まらない。


中国でこの症状が初めて起きた。
日本を出て間もない頃だ。
決まって、中国の白酒(バイジュウ)を飲んですぐの深夜に、この症状が表れた。
油っこい物ばかり食べていて、胃が弱っているからだろうと思っていた。

パキスタンでこの症状が頻繁に表れるようになった。
しかも様子はヒドくなり、1回その症状が出ると、2~3日は物も食べれず寝込む事態となった。

しかし、パキスタンで出会ったツーリストのほとんどが、これと同じ症状があると言っていて、命に関わる気配も感じなかったので、氷河からくる生水を毎日飲んで、特に気にもしなかった。

インド・ネパールではさらに悪化した。
下痢は、もはや当たり前のこととなっていた。
毎日がそうだった。
そしてたまに寝込むほどのがやってきた。

さすがに不安を覚え、インドのダラムサラでチベット人のご主人と日本食レストランを営んでいるN子さんに相談した。
N子さんは、その症状の特徴は、インドでツーリストがよくかかるジアルジアに違いないだとうろ教えてくれた。
その病気はインドじゃ当たり前だそうだ。

薬局で簡単に薬を買えるので、しばらく飲めば治るということで、さっそく薬を飲む。
薬の効果はてきめんで、1回飲んだだけで、嘘のように体が絶好調になった。
絶好調になって初めて、今まで当たり前になっていた体調は不良だったのだと気づいた。
食欲がそうとう落ちていたことも気づいた。


しばらく薬を飲み続けたので、もう2度とあの辛い症状に見舞われることはなく、
トルコでは、過去の分を取り返すかのように良く食べた。
トルコ料理がとても美味しく感じ、いくらでもお腹に入った。

シリアは、食べ物の選択肢が極端に減り、がっかりだ。
毎日毎日屋台のような店で、肉をクレープのようなパンで巻いたシュワルマばかり。
しかもトルコやレバノンのそれに比べ、ちっとも美味しくない・・・

レバノンからシリアに戻ってきて、
もうシリアは充分、明日ヨルダンに行こうと決めた矢先、ジアルジアの症状が再発した。


翌日の昼のバスで、ヨルダンに行く予定だったのだが、もうそれどころではなかった。
一晩中トイレに立てこもり、ジアルジアの症状と闘った。


翌日は寝込むほどでもなかったし、前回のことで学習したので、症状の軽いうちに薬を手に入れなければならない。


幸い私のホテルから、徒歩10分圏内に日本大使館があるので、まず相談。
大使館の対応は、こちらが恐縮してしまうほど丁寧親切。
普段ツーリストからは、どこの国の日本大使館も悪口しか聞かないので、シリアの日本大使館の対応は嬉しかった。

日本大使館の領事に連れて行ってもらった病院は、医者・スタッフ全員が流暢な英語を話す。
私の言わんとしている事も汲み取ってくれる。


私は以前ジアルジアにかかり、その症状と同じであることを医者に伝えたが、医者はその可能性は無いという。
なぜなら、シリア国内の観光客が訪れるような都市にはジアルジアは存在しないからという。

ただの腸炎だから、しばらくフルーツとクラッカーだけ食べていれば治るという。
薬も飲まなくていいという。

でも私は確信している、間違いないよ。
ジアルジアだよ・・・

落ち込んでる私に医者は訊いた。「シリアのどこの都市に行ったの?」
訪れたすべての都市を順に答えていると、
ユーフラテス河を見に行った田舎町、デリゾールのところで、医者がつっ込んできた。
「えっ、君、デリゾール行ったの?」
「はい。」
「間違いじゃなく、本当にデリゾール行ったの?」と2度も訊き直してきた。

デリゾールはユーフラテス河沿いの小さな田舎町で、特に観光スポットも無いのだが、
今まで私は、黄河もインダス河も見たし、この先おそらくナイル河は見るだろうけど、ユーフラテス河をこの機会に見ておかねば、一生見ることが無いだろうと思ったので、四大文明の栄えた河の一つユーフラテス河を見るためだけに、デリゾールへ行ったのだ。
人がたいへん親切な田舎町だった。



そして詳しく検査することになった。

今その結果待ち。


久しぶりの何も予定の無い連休のような感じだ。

今日は金曜日で、イスラム国であるシリアは休日。
ダマスカスの街は静まり返っている。


■シリア*ダマスカス(2010年1月31日~)①

「ゴラン高原の露出狂」( 2月1日 )

ゴラン高原は、シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、に囲まれた複雑なエリアだ。
報道番組で名前だけは知っていた。
1967年から、シリアはゴラン高原をイスラエルに占領されている。

この時、イスラエルは徹底的にシリアのゴラン高原の町「クネイトラ」を破壊した。
女子供を含め町中の住民を殺戮した。

今この町は国連の管轄となっている。

シリア側からこのクネイトラに行ける。
シリアは、この残虐なイスラエルの仕業を人々に知ってもらおうと、建物を当時のまま修復しないで公開している。

シリア政府関係の事務所で許可証を発行してもらえば、クネイトラ近くから政府の人が案内してくれると聞いたので、一人で行ってきた。


許可証を取るための政府の機関は、アサド大統領のひときわ大きな写真が入り口にあったのですぐに分かったが(シリアは国中アサド大統領の写真だらけ)、私の持っている政府機関のイメージとはまったく違った。
少年2人が銃を肩から提げ、入り口を守っている。
他にも複数の男がたむろしている。
どちらかと言うと、私の持っているゲリラ組織の基地のイメージに近い。


許可証を作ってもらい、
ダマスカスから1時間ほどオンボロのマイクロバスで行く。
最後の町から少し走ると人気が無くなり、乗客も私一人になった。
しばらくすると建物があり、そこから政府関係者のはずの男性が、案内人として乗り込んできた。

クネイトラ入り口ゲートでバスから降ろされ、案内人と2人きり、時たま国連の車が通るだけでヒト気のないクネイトラを歩くことになった。

ゴラン高原クネイトラ1
( 前の丘から向こう側はイスラエルに占領されている。丘の上にはイスラエル軍 )

ゴラン高原クネイトラ2
( 映画のセットのような、ひと気のない町 )

ゴラン高原クネイトラ
( ミサイルとはこうもすごいのかと思わせる跡ばかり )


案内人は、国連の車がたまに通るくらいの見通しのいいところで、車が危険だからという解せない理由で手をつないできた。

このパターンはたまに出会う。
信用できないタイプだ。

大丈夫ですと手を振りほどいたら、しつこい事は無かったが、その後の彼の話はずっと下ネタになった。
そういう話は私の好みでは無いと言っても、アラブ人の男がいかに凄いか、自慢を含んだ下ネタを彼はしばらく続けていた。


ゴラン高原クネイトラ4
( 病院の中。人々が避難したという、病院やモスクの破壊のされ方のヒドさが痛々しかった。ミサイルの跡。)


しかし先ほどから、彼はなぜか私の斜め後ろにぴったり張り付き歩いている。
そして何かがわたしの腰の辺りにあたる。
何かと思って見ると、彼はズボンのファスナーを開け、男性のモノを出して、私におしつけていた。
私が冷静に「出ていますよ」と言うと、彼はファスナーが壊れていると言って誤ってきた。
彼はいったんはモノを収めたものの、3分もしないうちまた出していた。
少し休憩しようという彼の意見を却下し、入り口のゲートの位置を彼から探り、警官のいるゲートまでたどり着き、クネイトラを後にした。


ゴラン高原クネイトラ5
( 露出狂とは知らず撮ってもらった写真 )



■レバノン*トリポリ~ベイルート~サイダ(2010年1月27~31日)③

レバノンの首都ベイルートからバスで1時間半ほどのところに、石鹸博物館のあるサイダという街がある。

サイダにはこれといって他に観光すべきものもないので、バスから降りて石鹸博物館にまっしぐら。
この博物館は、古い石鹸工場を博物館に改装している。

アレッポやトリポリの工場は今もなお古いまま、長い歴史を感じる建物だったが、ここサイダの元工場は違った。

完璧に改装され、高級レストランのような照明に、ディスプレイも洒落ている。

サイダ石鹸博物館1
出来上がった石鹸を筒状に積み上げ乾燥させている様子。

サイダ石鹸博物館2
石鹸に刻印する道具の展示。

そしてここは、博物館として、完璧に訪問客の期待に応えている。

入場無料。
一グループに一人のガイドが付く。
ただし、ほとんどがフランス語でのガイドで、私に付いてくれた人も英語が苦手なようで、片言英語の私の質問の意図をなかなか汲み取ってもらえない。

ところが、すべての展示物の横に英語でかかれた説明書きの紙が置いてあり、それを自由に持って帰って良いのだ。
なんて親切なんだ!
日本語ならもっと親切なのに・・・と、そこまで贅沢は言えない・・・

石鹸の歴史からこの博物館のおいたち、石鹸の材料、作り方、道具、これらすべての説明がA4サイズの紙に印刷されている。
これらを頂きながら、美しい館内を一周すると、説明書は20枚ほどになった。
立派な石鹸の教科書ができあがる。

敷地内にはカフェもあり、石鹸製造の様子をフランス映画仕立てのビデオで流している。
先ほど頂いた無料の教科書で、辞書を片手に勉強できる、気の利いた落ち着いたカフェ。

土産物屋もあり、美しく包装された石鹸を売っている。

土産物屋の石鹸は、私が日本で作っていたのととてもよく似ている。
オリーブオイルと苛性ソーダと少しの水だけで作る白い石鹸。

街の市場を覗くと、やはり白い石鹸がごろごろとビニール袋に入れられメインに売られている。
ここサイダの石鹸は、私の作る石鹸の先祖なんだな。

シリアの石鹸とレバノンの石鹸を、もう見ただけでどちらがどちらなのか分かるようになった。

使い心地はといえば、石鹸の良さは、私の場合、2週間使い続けると分かる。

今はシリアのアレッポ石鹸を試している。
なかなかに良い。

そろそろレバノンの石鹸も試そう。

しかしまぁ、あれもこれもと色んな種類を買っているうち、おそらく3キロ以上の石鹸を集めてしまった。
移動するのは大変だが、良い石鹸を毎日使うと、私は心が明るくなる。
オシャレもしたくなる。

心がウキウキして、昨日久しぶりに美容院に行った。
パーマをかけた。

中東の女の人は、全身を覆っている人が多いが、実にオシャレな人ばかりだ。
ベールを取れば、みごとに華やかで美しい。

もしかしてこれは石鹸のおかげではなかろうかと思った。


■レバノン*トリポリ~ベイルート~サイダ(2010年1月27~31日)②

石鹸で有名なレバノンのサイダは、首都ベイルートから1時間半ほどで行けるので、レバノンを拠点に行くことにした。
サイダには石鹸博物館があると、日本で一番売れて売るガイドブック「地球の歩き方」と、世界で一番売れている「ロンリープラネット」がどちらも書いているので楽しみにしていたが、この日は金曜日。
中東の博物館やら何やら、通常はイスラム教の休日金曜日は休みなので、この日は、ホテルを探しているときに出会った韓国人のミン君とデート。
多くの若い韓国の人がそうであるように、ミン君も日本語がぺらぺらだった。
2ヶ月間新宿大久保に住み、数ヶ月かけて日本一周の経験をしている。
どころかミン君は、英語もアラビア語もぺらぺらだった。
ジャニーズ系の美青年で、心優しく、日本人に似た感覚も持っているミン君とのベイルートでのデートは楽しかった。

レバノンのベイルート。

ベイルート・ホリディイン跡
内戦の1970年代の姿のまま残されたホテルホリデイイン跡。

弾痕のある銅像
旧市街の古い建造物には全て、弾丸の跡がある。

教会とモスク
隣り合わせる教会とモスク。
この街をよく表している。
夕方、教会で鐘が鳴るが、モスクでアザーン(祈りの時間を告知)が流れると、鐘は鳴り止む。

街中の遺跡
旧市街は全てが新しく作りかえられている。
新市街以上に新しい。
街の下には古代の遺跡。

ベイルートの街1
建設ラッシュ。

ベイルートの街2
レバノンの人は、ベランダにカーテンをするのが常識らしい。
どこの町でもやや古めのマンションは皆こうなってる。
これは内戦の傷跡が少なかったエリア。
造り替えられている旧市街のほうが新しい。

アメリカ大学
ベイルートアメリカ大学
ミン君は大学生で、この大学に興味があるというので来てみた。
大学には博物館もあり、学生は日本より大人っぽく見える。

アイスクリーム屋
レバノンはフランスの影響が強いので、オシャレなものが多い。
アイスクリームがいかにも美味しそうで、実際美味しい。

鳩の岩を見ながら
ミン君のアラビア語の先生が、レバノンに行ったらこの岩を見なさいと生徒に薦めたそうだ。
ここで、水平線に沈む夕日を見る。

時計塔
これは旧市街の時計塔。
夜はデートや家族連れでにぎわっている。

美しい夜の街
レストランの並ぶ道。
水タバコのシーシャもできる。

レバノン料理
高級レストランばかりのベイルートで、安くて美味しいレバノン料理を出す貴重な店で夕食。

ツナ缶
日本女子が描かれたタイランド製のツナ缶。
どこのスーパーにもある。

■レバノン*トリポリ~ベイルート~サイダ(2010年1月27~31日)①

中東各地の地名は報道番組で聞き覚えがあったが、どれが国名でどれが都市名なのか、今回はじめて理解した。

シリア・レバノン・イスラエルは、中東の地中海に面した国だが、この3カ国の海に近い一帯が石鹸誕生のエリアだ。
特にシリアのアレッポ、レバノンのトリポリとサイダ、イスラエルのゴラン高原の町(名前忘れた)の4都市が、どうやら大昔から石鹸の基地であると分かったので、中東の石鹸の町めぐりをすることを決めた。(イスラエルのゴラン高原は危険なので、今回は行きません)

シリアのアレッポはいかにも石鹸の街だった。
雰囲気も中東のイメージ通りで、私の心を鷲づかみしたので、他の場所にも期待して次はレバノンのトリポリに向かった。


レバノンのトリポリ。

トリポリの主な産業はもちろん石鹸であるが、町の中には特徴的な石鹸はまったく売っていなかった。
日本でも安く買えるような大量生産の品しか見当たらない。

スーク(市場)の中に昔の石鹸工場が1軒あり、そこで石鹸を売っているということなので行ってみた。

トリポリのスークの石鹸屋1

トリポリのスークの石鹸屋入り口

トリポリのスークの石鹸屋入り口2

トリポリのスークの石鹸屋の商品

アレッポとはまったく異なる品揃え。

カラフルで、香料の大量使い。
ナチュラルな色と香りらしいが、そうとうドギツイ。

後で行ったサイダで分かったことだが、レバノンの石鹸は、フランスの統治時代にフランスへの輸出が主だったとのこと。
きっとフランス人好みなのだろう。
客はフランス語を話す人ばかりで、店のスタッフもフランス語対応。
というか、レバノンの人はほとんどの人がフランス語を話す。
英語を話す人は少ない。
話を戻して、商品はなぜか値段が米ドル表示で、100グラムほどで5ドル以上。
無香料無着色のアレッポ石鹸が200グラム100円ほどで買えたのに比べると、かなり高級なお値段。

私の好みとは違った石鹸だったが、工場を見せてとお願いしたが断られる。

ここトリポリはそうそう退散して次の町、サイダへ向かうことにした。


その前に、トリポリはレバノンのスィート天国でも有名だった。
むしろ石鹸よりこちらの方が有名である。

私もスウィートをたらふく堪能。

チーズをお菓子にしたものが有名なのか、適当に注文すると、どれもチーズの味がしておいしい。
私の好みにぴったりあった味。

トリポリの屋台のスィート屋
屋台。
おじさんがギュウヒのようなものの中に甘いチーズを入れてくれる。
おじさんが素敵だし、おいしいし、安いし、惚れた屋台。

トリポリの老舗っぽいスィート屋
屋台の向かいに老舗っぽい菓子店。
中で食べれる。
日本で言うと和菓子屋みたいな感じかな。
ただ、持ち帰りは量り売り。
中東に限らずインドやパキスタンもそうだったけど、量り売りの菓子店が多いので、こうして店中で食べれるのは、1人分欲しい場合にちょうどいい。
これはチーズを薄くのばした生地にチーズのクリームがのってる。
ピスタチオの粉末に、バラのシロップがけ。
後ろのみどりのビンは水差し。

リサ婆

現在無職。日本在住。
バーのママ歴
中野で4年
歌舞伎町で12年
海外旅行歴
人生の中で延べ約4年
約50ヶ国
春からカレー屋をやるべく、現在奮闘中。

!注意!お願い!
本文中、イスラム教を国教とした国の事を「イスラム国」と書いたのがたくさん出てきますが、それを書いた時点ではまだイスラム国(ダーイッシュ、ISIS)が無かったため、そのような表記になっております。
ですので本文中にある「イスラム国」は、ISISとは関係なく「イスラム教の世界」「イスラム教を国教とする国」というニュアンスでお読みください。

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