■2009年06月

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■パキスタン*ギルギット

ギルギットからカラーシャに向かう途中のパンダールにて、アクシデント発生。
ギルギットに引き返す。
その夜、メールで大先輩Sさんからの、カラーシャについて書かれたメールを読む。
アクシデントはこのメールを読む為に起きたのかと感じる。
そしてギルギットでイベント発生。
しばらくギルギットに滞在予定。

初めての、本格イスラム国イスラム世界。(これを書いた2009年はまだイスラム国(ダーイッシュ、ISIS)というのが無かったため、イスラム教が国教の国の事をイスラム国と書いています。)
ギルギットに到着してすぐに、もう一刻も早くパキスタンを立ち去りたい気分になった。
女性を一人も街中で見かけない。
男達の集中砲火的視線。
イスラムの国って、こういう事なのだ・・・、もう二度とイスラム国には一人では立ち入るまい、と、思った。
2~3日、外に出られなかった。

同宿に宿泊している男性ツーリスト達と外へ食事に行き、少しづつ慣れていった。

今では楽しいギルギットだ。


ブルーノ撮影
(撮影:Bruno ニューツーリストコテージにて)


PS、ギルギットは、ネット環境は悪い。

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■中国*ウイグル自治区*タシュクルガン(3)

中国で、中央アジアの日記をアップする予定だったけど、明日からパキスタンに行くので、どうやらそれはできないようだ。

カザフスタンからカシュガルまで、怒涛の再会続きで、アルマタでは、キルギスで一緒にホームステイしていたメンバーと偶然会ったり、
カシュガルでは、2月に一緒に旅したドイツ人青年ロマンと再会したり、
2ヶ月ぶりに戻ってきたカシュガルのウイグル人エリアは、すでに区画整理のための破壊がなされて、宿の辺りはすっかり変貌を遂げていたりと、
面白いことが立て続けにあったので、是非ともブログにも残しておきたいのだが、旅の速度にパソコンの速度がとても追いつかない。

パソコンを持って来なかったがために、すべての文章をネットカフェで書き込まねばならず、また、ajaxという日本語変換webを使った文章は、通信速度の遅いパソコンからだと非常に時間がかかる。

今、唯一の後悔は、リアルタイムで日記を書こうと、日本にいる時に考えたのに、日本からパソコンを持ってこなかったこと。

自分のパソコンに書き溜めておいて、ネットカフェでアップするスタイルだったら、とても楽だったのに・・・
日記を書いてる旅行者は、何人問わず通常このスタイル。

でもまさか、ネットカフェがこんなにも通信速度が遅いとは、日本にいる時は気づかなかったからね。
そして、日本にいるときは決して使うことの無かったajaxが、通信速度に左右されることも最近わかったし。
他の旅行者に聞くと、かなり通信速度遅い中国なのに、アジア圏では、韓国、そして日本に次ぐ速さだそうだ。

中国のネットカフェでは、CDやDVDはまったく使えず、写真のバックアップをDVDに取ろうと、メモリースティックを持ってきていないのも誤算。
写真のバックアップが取れない。


でも、自分のパソコンが壊れないようにとか、盗まれないようにとか、心配することがないので、まぁどっちもどっち。


パキスタンのネットカフェはどうなっていることやら。


■中国*ウイグル自治区*タシュクルガン(2)

さすが辺境タシュクルガン。

今、中国の最西端の町、タシュクルガンにいるのだけど、中国で初めて、私のブログページに規制がかかった。

タシュクルガンに1件しかないネットカフェ内で、ようやく日本語可能なパソコンを見つけたのに、私のページに繋げない。

店の人に聞いたら、公安が規制をかけているから見れないという。

中国からは、日本のwebページやyoutubeが見れなかったり、yahooから検索できないことはよくある。
以前、「チベット」で検索をかけたら、ほとんどのページが見れなかった。
しかし、自分のページが見れないのは初めて。
グーグルマップも見れない。

他の日本語ページは見れる。
だから、自分のページの管理画面には接続できる(笑)

しかし、店にusbを使わせてもらえず、写真がアップできない。



タシュクルガンはすぐそばに、タジキスタンとの国境と、アフガニスタンとの国境と、パキスタンとの国境がある。

つい数年前まで、この辺りを観光するには、中国政府に許可証をもらわなければならなかった。
今では、多くの外国人ツーリストが許可なくここに来れるようになったが、中国側からここに来るまでにも、今だ厳重なパスポートチェックがある。


標高約3200m。
日中晴れていれば暑いが、日が陰ると寒い。
雪山に囲まれていて、夜はそうとう冷え込む。

そしてここは、タジク人(タジキスタンに多く住む民族)の住む地域で、ウイグル族とは顔も衣装も違い、私には新鮮な感じ。

女性は、眉毛が左右つながっている人が美人。
中央アジアやウイグルで本当によく見かけるメイク、眉墨で左右の眉をつなげる。
子供の頃からそうしている。
しかし、タジク人は、メイク無しでも実際眉毛がつながっている女性が多い。
そして本当に彼女達は美人ぞろい。

日本人から見たら「あらら」と思うつながり眉なのに、美人に見えるということは、正真正銘の美人だと思う。


■中国*ウイグル自治区*タシュクルガン(1)

ひらがな と カタカナ のみ にゅうりょく かのう。
かんじ は もじバケ。

Ajax しよう ふかのう。

ちゅうごく と パキスタン の こっきょうの ま ちタシュクルガン(ちゅうごく がわ)より。



辿・

■カザフスタン(1)*カスピ海

世界一大きな湖を見にカザフスタンのアクタウへ行く。
世界一大きな面積を誇るカスピ海。


ウズベキスタンの悲劇のアラル海(一つ前の日記で紹介)を見に行った後、乗り換えの都合でコングラートという、宿屋の一件もない町に宿泊を余儀なくされた。(実はコングラート駅に泊まれることを後になって知る)
ここでは、ご好意によって一般家庭に宿泊させてもらった。

そして私がこの後カスピ海を見に行く事を知ったこの家の人が、私の目的地であるカスピ海の街アクタウに、姉さんが住んでいるということで、私を世話するようお姉さんに連絡してくれた。
アクタウは、物価が高いことで旅行者には有名だったので、1日最低でも5000円以上かかるであろう生活費を抑えることができるのは、有り難いお話しだった。



カスピ海の街、アクタウの駅に到着すると、そのお姉さんが迎えに来てくれていた。
今までさんざん見てきた、どうしたらそんなに太れるのか、おそらく体重100キロは軽く超えているであろう中央アジアの普通のオバさんと、彼女は違った。
ほっそりしたスタイルに、イスラム独特のスカーフとロングスカートが良く似合った綺麗な人だった。

彼女の名はバグダー。
バグダーの家庭に2泊させてもらうことになった。

家に到着して、私はかなり戸惑った。
彼女の家は、とても貧しい家だった。
石油と天然ガスが採れるリッチな国カザフスタン、物乞いがほとんどいないカザフスタンで、バグダーの家族はとても質素な生活をしているようだった。

バグダーの家

ご主人とバグダー、そして3人の子供たちは、10畳程の部屋と2畳程の玄関スペースだけで生活していた。
水道は無く、トイレは隣家と共同で外にあった。
もちろんシャワーなど無いし、シャワーを浴びる習慣はないようだった。
水はどこから運んだのか、バケツに溜め置きしてある分だけだった。
水道やシャワーがないのは、お隣りの国カラカルパクスタンでも当たり前のことだったが、今まで中央アジアで見てきた一般家庭でもっとも狭い家だった。
台所といえる場所は外にあった。

バグダーはとても手厚く私の世話をしてくれた。
カザフスタン流のミルクティーや、中央アジアの炊き込みご飯で、私は常に満腹だった。
子供たちは大はしゃぎで、私にとてもなついてくれた。
ただ、ご主人は病気を持っていて、仕事はしていない様子だった。

[私は働きたいの。働くのが憧れよ。でも主人はそれを許さないの。]
バグダーは私に言ったが、多くのイスラム教徒の家庭は、それを許さないだろう。

そういえば、私とバグダーには、共通の言語が無かった。
中央アジア全体でそうだが、基本は現地語とロシア語だ。
でも、不思議とお互いのコミュニケーションは取れていた。


バグダーと子供たちと一緒にカスピ海に行った。

カスピ海
カスピ海は、その名の通り海だった。
これは湖という規模ではない。
水平線の向こうに、対岸が見える気配が全くしなかった。
水を舐めると、鎌倉の海程ではないものの、かなりしょっぱかった。

カスピ海沿岸
沿岸は、リゾート建設が進んでいた。

カスピ海2
まだシーズンには早いのだろう。
のどかなカスピ海。

バグダーと子供たち
遊んでいる親子は他にもいたが、水着を着ていない子供は、バグダーの子供達だけだった。
一つ年上の姉さんインディラに、いいように使われている弟ポーラットを見ていて、どこの国でも姉弟って、子供の頃はこうなんだろうなと笑ってしまった。



3日目、私が列車でカザフスタンの首都マルマタに向かう時、お別れにバグダーが4日分の食糧を持たせてくれた。
ここアクタウからアルマタまでは、3泊4日の列車の旅だ。

心から感謝し、とても思い出に残るカスピ海だった。


■ウズベキスタン(3)*カラカルパクスタン共和国*[アラル海]

ウズベキスタン西部に、カラカルパクスタン共和国という自治国がある。
独自の憲法を持つれっきとした国なのだが、入国手続きなくウズベキスタンとを行き来できる。

ここにはアラル海という世界4番目に大きい湖がある。
いや、世界4番目に大きかった湖があった。

緑豊かで多くの動物のオアシスである美しい湖だったと言う。

ソ連による、綿花栽培のための度を越した潅漑政策で、面積が縮小し、まもなく消滅するだろうと言われている。

盛んだった漁業は壊滅。
ソ連時代に、工業排水を川に垂れ流しだったため、湖底に沈んでいた有害物質が露呈。
もともと塩湖であり、残った湖は極端に塩分濃度が上り、塩と有害物質がまき散らされ、この地帯の奇形児率はとても高い。



元アラル海を見に、カラカルパクスタン共和国に行く。


ヌクス
カラカルパクスタン共和国の首都ヌクス。
ウズベキスタン内にあるこの共和国は、他のウズベキスタンの地域よりソ連色が強い気がした。
町で巨大なパイプに遭遇。
何を運ぶためなのか、現役なのかも分からないが、なんとなくソ連チックに感じた。


そして車で4時間ほどの、元アラル海の港ムイナックへ。

ムイナックの元漁港1
元の漁港ムイナックには船が残されたままだ。
荒地に船。
ここが湖だったとは、船を見ても、にわかに信じがたい。

ムイナックの元漁港2
少し離れたところで竜巻が起きている。
あちらこちらで竜巻が起きているが、これがまたいっそう廃虚感をかもしだしている。

ムイナックの貝殻
足元を見ると、砂の中に貝殻がたくさんあり、湖だったのだなと分かる。



5月8日の日記のコメントに、私が日本で経営していた店の従業員ビビちゃんから、アラル海についてのコメントいただいています。
テレビでこのアラル海を特集するようなので、興味のある方はぜひ観てください。
私は観れないのがとても残念です。



■ウズベキスタン(2)*歴史の街

中央アジアは私にとってネット環境は悪かった。
中国のネットカフェは、通常インターネットエクスプローラーを使用しているので分かりやすいが、中央アジアのブラウザは違った。
ツールがロシア語なのでさっぱりわからないし、そもそも日本語のページを文字化けなく見れるカフェは少ない。
通信速度は非常に遅い。
1通のメールを読んで返信するのに1時間はかかる。
遅すぎて、よくエラーになり、また書き直さねばならない事しばしで、大いにストレスを感じる。
おまけに使用料は高い。


中国に戻ってきた。
最初中国に来たばかりの頃は、さっぱり訳分からず、日本語で書き込むことも困難だったのに、今では全くストレス無く使いこなせるようになっている事に気付く。


中央アジアがとても美しく面白いエリアだったので、思い出しつつ日記を書くことにする。


ウズベキスタンは歴史の街。
といっても、その見どころのある場所はほとんどがタジク人の住むエリアで、ソ連から独立する際、ウズベキスタンの方がタジキスタンより政治力が強かったので、そのエリアを取ったそうだ。
住民はタジキスタン語を話すタジク人だが、学校教育はすべてウズベキスタン語でなされるようで、世界中どこにでも、このような問題が存在している事を知る。
国境とはいったい何なのか、国家とはいったい何なのか、考える。

ウズベキスタンの首都タシュケントでは、ワールドカップの予選が現在行われているようだが、ウズベキスタン人の知っている日本といえば、私が言われた多い順から並べると[チュモン][おしん][ジャッキーチェン][ナカタ]だ。
[ナカタ]は男性からしか言われないので、おそらく元サッカー選手の中田と思われる。
[おしん]は、東南アジアやネパールではよく言われたが、中央アジアでも知られているとは、こりゃもう日本の名作と言って良い。
しかしすでに[おしん]を知っている日本人が少なくなってきている。
[チュモン]は韓国ドラマだし、[ジャッキーチェン]は香港だし、海外ではありがちな間違い。


バス移動

紅い色が実に魅惑的なケシの花
首都タシュケントから真っ紅なケシの花咲き乱れる中を、観光地に向かいバス移動。
中央アジアでは、この時期ケシの花を一番多く見かけるが、真っ紅な絨毯のような草原は実に魅惑的。



[サマルカンド]
レギスタン広場
サマルカンドのレギスタン広場

シャーヒジンダ廟群
サマルカンドのシャーヒジンダ廟群

サマルカンドは青い町。
イスラム建造物の青いタイルが青い空と馴染んでいる。



[ブハラ]
ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ
楽しみにしていたブハラのナディール・ディヴァンベギ・メドレセは工事中。
イスラム建築には珍しく、動物(鳳凰)が描かれており、上部の太陽には顔が描いてある。

ラビハウズ
ブハラ市民の憩いの場[ラビハウズ(池)]。
という紹介文をガイドブックで読んだが、池の周りは、とても現地の人が来そうにない観光客相手の、料金高めのオープンカフェが囲んでいる。

ブハラ
ブハラのチャシュマ・アイユーブ

ブハラの町並み
ブハラの町並み。

可愛い食器
売られている食器は、日本食にも合いそう。

ブハラの交差点
ブハラでは、ラクダのキャラバン時代から使われていた交差点にあるバザールの建物[タキ]がいまだ当時と同じく使われている。

タキの中
この[タキ]は、ラクダが通れるように、入り口は高くなっており、中は商店街になっている。

チャールミナール

桑の実を摘む子供たち

白い桑の実
ウズベキスタンでは5月中旬、町中の桑の木が実をつけており、初めて見る白い桑の実は、喉が渇くほどの強烈な甘さで美味しい。
子供だけでなく大人も、木を通りがかると実を摘んで食べている。



[ヒウ゛ァ]
ヒウ゛ァ城壁
ヒウ゛ァの城壁。

ヒウ゛ァ城壁内
城壁に囲まれた美しい街。
ここはデートスポットなのだろう。
物陰でカップルがイチャイチャしてるのをよく見かけた。
写真の下の方に見える丸いスペースは、すべて満室状態だった。

なんと城内で日本からの団体ツアーに遭遇。
ガイドさんに頼んで、私も城内観光に便乗。
言葉の分かる説明を聞くと、いっそう面白い。
年配のお客さんが多く、私は日本語の上手な現地人だと思われる。
そして私が日本人だと分かると、一人なのを不思議がられる。
ユーラシア旅行社さん、便乗させてくれてどうもありがとう。


リサ婆

現在無職。日本在住。
バーのママ歴
中野で4年
歌舞伎町で12年
海外旅行歴
人生の中で延べ約4年
約50ヶ国
春からカレー屋をやるべく、現在奮闘中。

!注意!お願い!
本文中、イスラム教を国教とした国の事を「イスラム国」と書いたのがたくさん出てきますが、それを書いた時点ではまだイスラム国(ダーイッシュ、ISIS)が無かったため、そのような表記になっております。
ですので本文中にある「イスラム国」は、ISISとは関係なく「イスラム教の世界」「イスラム教を国教とする国」というニュアンスでお読みください。

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