■2009年04月

■キルギス*さらに思うこと

今日、ようやくキルギスで申請していた他国のビザがすべて取れた。
長かった。
全部で半月かかった。

キルギスについて考える。

何の下調べもなく、キルギスにやって来る日本人が最近増えているという。
大体が中国からやってくるらしい。
私もその一人。

シルクロードを西に向かった連中が、ビザの要らないキルギスに軽い気持ちで来てしまい、キルギスマジックに引っ掛かってしまうのだそうだ。

キルギスには、見どころといえば、ソ連時代には外国人には開放されていなかったイシククル湖や、山々はあるが、ハイライト的な感じでもない。

そこで、見どころ豊富な隣国ウズベキスタンへ行こうと連中は考えるらしい。
私もその一人。

ウズベキスタンのビザを取るのに、最悪半月以上かかる。

ツーリストにとって決して物価が安いとはいえないキルギスに、こうして、言葉も話せない私達が長居をすることになり、お金を落としていく。

キルギスよ。すごい国策だね。日本人ビザ不要は大正解だよ。

そして、外食はとても高いけど、高品質のバックパックやナイフや旅行者に必要なものがとても安い。
やることもないので毎日ウインドウショッピングしていると、ついつい買い替えたくなる。
私は、ビクトリノックスのナイフや栓抜きのツールを2000円程で購入。

キルギスマジックにまんまとやられている。


写真は、同じ家に居候している日本人女子3人で行った温泉。
5月26日、日帰り温泉旅行。

イシクアタ温泉1

イシクアタ温泉2

イシクアタ温泉3



おばあさんと16歳の孫が住む居候中の家。

南旅館

南旅館2

南旅館3


■キルギス*思うこと

キルギスは特にこれといって見どころがある訳ではないが、国のほとんどが山岳地帯。
移動時の風景こそが見どころだと思う。

キルギスの人たちは、コンテナをよく使う。
中国との国境辺りで昨年地震があり、中国側の仮設住宅はテントだったが、キルギス側ではコンテナハウスだった。
コンテナショップやコンテナレストランを国内のいたるところで見ることができる。
キルギス人は本来遊牧民なので、すぐに移動できるスタイルが好きなのかしらと思った。

オシュからビシュケクまでの2泊の移動は、春から冬へと逆行するようで楽しかった。
オシュの市場は賑やかで楽しく、オシュが大好きになったが、
首都ビシュケクの活気の無さに驚く。

全く活気が無い。
仕事が無いのか、昼間から酔払っている人が多い。
道路に寝てしまっている人も見かける。
豊かではない人相の人が多い。
たむろしている警官の雰囲気が悪い。
食品の物価は中国よりはるかに高い。
ウオッカは約700L、1本100円位からある。

ボリ、釣銭ごまかしは日常茶飯事。
ツーリストが遭遇した犯罪被害は、スリのようなこっそり犯罪より、強盗、警官による恐喝、が圧倒的多い。
夜明け前や日暮れ後は決して外を歩くな、というのがツーリストの常識。

キルギスでは日本人はそうとう好かれている。
逆に中国人は好かれていないのを感じる。
中国人だと思われている時の態度と、私が日本人と分かった後の人々の態度は雲泥に違う。

たくさんの人種がいる。
何人か問うても、どこどこのハーフやクオーターが多く、混血度が高い。
ゆえにとんでもない美人と遭遇することもしばしばある。
中国では、漢族と他民族とは別に生活をしていた。
漢族と他民族が共に働き話しをしているのは、ネットカフェくらいでしか見なかった。
これは、中央アジアシルクロードと中国シルクロードとの大きい違いな気がする。

キルギスのコンピューターは遅い。
旧ソ連では、手作業で送受信の内容をチェックしているので遅いという説がある。
この日記に載せようとした写真をいったんコンピューターにコピーしていたのに、文章を書いている間に消えていた。
ロシア語表示なので、感でやってます。

■キルギス*ビシュケク

キルギス。
おそらくこの言葉を口にしたことは、今までなかったと思う。
国なのか都市なのかも知らなかった。

初めてこの国のことを知った。

来る直前に分かった。
ここは旧ソビエト。

初めて訪れる、旧東側の国。

英語は通じないだろうと予測したが、やはり通じない。
予想外だったのは、文字もまったく読めないこと。
ロシアの文字が使われている。
Д・Ж・Ф・Л・Я・Ю・・・・・・・
このような文字は絵文字で存在は知っていたが、読み方なんて知らなかった。

中国から7000m級の山の合間を抜けてやってきた世界は、中国とは全く別世界だった。
外人とわかるとロシア語で話しかけられる。

キルギス側の税関で、それまで一緒にいた日本語を話すオーストリア人の夫婦が、ロシア語で乗り合いタクシーと掛け合ってくれ、先を急ぐ私はヒッチハイクではなく、乗り合いタクシーでオシュという町に行く事を選んだ。

先を急いだのは、中国で知り合った日本人ツーリストが、その翌日の朝までオシュに居ることがわかっていたので、どうしても話をしたかったからだ。
最初に中国に到着して訳分からなかった以上に、この国が全く分からない。
読めず、話せず、筆談もできず、文化も知らない。
国の存在自体、最近知った。
だから既に1ヶ月キルギスに滞在している人の話を、どうしても聞いておきたかった。
彼も、私がキルギスに行くというので、ウズベキスタンに行く予定を1日ずらしていてくれていた。

夕方税関からタクシーに乗ったおかげで、明け方にはオシュの町に到着できた。
なんとか彼と朝食を一緒にできる時間が作れ、とりあえず知っておくべき知識を教えてくれ、彼はウズベキスタンへと発った。


キルギス人は、日本人に対してかなり高感を持っている。
中国人に間違えられることしばしだが、日本人であることがわかると、人々の態度が全く違う。
何を根拠にそうなのか、日本は相当好かれている。
旧西側の国で、ビザが要らないのは日本人くらいではないのか?
日本政府はたくさんのお金をキルギスに使っているのだろうと予測した。



偶然とは面白いもので、中国のトルファンで部屋を共同で借りたトモコさんと、キルギスの首都のビシュケクの町はずれの道路でバッタリ再開した。
そして彼女がホームステイ感覚で宿泊している宿に、私も移った。
私たちは共に、ウズベキスタンビザ、カザフスタンビザ、インドビザを取るために、しばらくこのビシュケクに滞在を余儀なくされていた。

キルギスの物価は中国に比べてかなり高い。
そして外食の物価は恐ろしく高い。

宿のキッチンを借りて自炊生活をしていたトモコさんを見習い、私も自炊をすることにした。

■中国*ウイグル自治区*カシュガル [キルギスへ]

パキスタンとの国境が、5月にならないと開かないので、ビザなしで行ける隣国キルギスにそれまでの間行くことにした。
ちょうどキルギスには、この旅で知り合った旅友も居ることが分かった。

そして風変わりなオーストリア人夫婦が、私の泊まっている宿にやって来た。
旦那は、日本の東京大学の大学院で4年間、気象学を勉強していて、奥さんは国立音大で雅楽を専攻していた。
しかも日本政府から奨学金をもらっていたので、物価の高い日本でも、たくさんの貯金はできなかったが不自由はしなかったという。
日本から船で中国にやって来て、陸路でオーストリアに帰る途中だという。

二人とも日本語が達者だ。
旦那は、デイブスペクターのようなギャグを言ったり、私といる時は夫婦間でも日本語で話していて、それが夫婦漫才のようだ。

彼らもキルギスへ行くというので、一緒に車をチャーターして行くことになった。
本来は、カシュガルからキルギスのオシュまで、週1本出ている国際バスで行けるのだが、3人で車をチャーターすれば、それより安く行けることが分かった。
バスで先にキルギスに行った旅友の話しによると、バスは移動18時間で、ご飯休憩どころかトイレ休憩が1回だけしかなかったという。
中国のバス移動ではよくある話だが、快適そうでしかも安いタクシーチャーターを選んだ。

キルギスとの国境に着いたら、あとはヒッチハイクという手でオシュに向かうしかないのだが、道連れが2人いれば危険度は大幅に減る。

そして、地球上で最も有名なガイドブック[ロンリープラネット]がやっている有料ガイドブックダウンロードで、キルギスのガイドブックを9ドルで購入し、宿でプリントしてもらった。
手作り製本のロンリープラネット


明日、いよいよ2ヶ国目のキルギスに行く。

■中国*ウイグル自治区*カシュガル [交差点]

シルクロードの街、カシュガルは人間の交差点。
私の泊まっている宿にも色々な人がいる。
中国人、香港人、フランス人、オーストリア人、イスラエル人、メキシコ人、ニュージーランド人。
先日話題になったのは、[ゼスチャー]。

世界で言葉が通じなくても、ゼスチャーでなんとかなる場合もあるが、かえって誤解を生むこともある。
その確認を皆でしてみた。

ちなみに中国の1から10までの数の指での表し方はこの通り。
6から先は、日本人が普通表すやり方では通じない。
中国の数の表わし方


しかし、ヨーロッパ人は、1は親指を立て、2はさらに人指し指をたて、3はさらに中指を立て、4は小指だけ折るので難しい、、、、
そこで笑い話し。
中国に来て間もないヨーロッパ人が買い物で、2つください、と指で表すと、この国では8つ出てきてしまう。

メキシコは、またヨーロッパとも日本とも中国とも違った数え方だった。


[はい]と[いいえ]は、たまたまここに居るメンバーは共通のゼスチャーだったが、インド人はこれが違う。
他にもこれが違った国の体験談を聞く。


当然と思って使っているゼスチャーが世界で違うのは、面倒だが面白い。

■中国*ウイグル自治区*カシュガル [行き止まり]

中国の西の果てカシュガルで、私はこれからの旅程を考えた。

いわばここは中国の西の行き止まり。
これからも中国を旅するなら、南方のチベット自治区以外に行く以外はUターンすることになる。

チベットの正月も終わり、中国政府も外国人のチベット訪問を1ヶ月前より緩やかにするだろうとの情報を得ていたので、ここカシュガルからチベット自治区行きを試みたが無理だった。

運が良ければ中国の真ん中の蘭州から、チベット自治区へ行けることはわかっている。
しかし運だけを信じて、実際行けるかどうかも分からず、また中国の1/2を戻るのに、公安と私服警察だらけで観光もインターネットもできないと聞くチベット自治区に、そこまで執着する理由もない。

2月に四川省のチベットエリアで公安に捕まる前に、チベット自治区内では外国人は見ることのできない鳥葬場も見れたし、チベット人の生活も垣間見れたので、今回はチベットを見送ることにした。
本来のプランでは、チベットからネパール経由でインドに抜ける予定だったので、根本的にプランを見直すことにした。


この中国西側は沢山の国と国境を接している。
インド、パキスタン、アフガニスタン、タジキスタン、キルギスタン、カザフスタン、ロシア、モンゴル。
そしてそれらの国に入るのには、北京で取らねばならないビザが必要だ。
唯一、キルギスタンを除いて。

と、ステキな情報を得た。

パキスタンビザが、なにも北京へ行かずとも国境で取れるようになったという。
パキスタンと中国の国境は桃源郷といわれている。
外国人が通過できない時もあったそうだが、ここ最近は外国人も通れる。
しかも問題のビザが去年の秋からは国境で取れていた(今年はまだ雪で国境が開いてないので疑問は残るが)。
こんなチャンスめったにない。
14年前から憧れだった中パ印の複雑な国境クンジュラブ峠を通れる!


しかしこの国境は、高い山の峠が雪で覆われているため、5月にならないと開かないのだった。




(*)ビザには入国期限やら有効期限があり、初めから全てのビザを取っても長旅では意味がありません。
たいがいはビザ取得後数日以内の入国を求められ、国によっては3ヵ月から6ヵ月の有効期限がありますが、時間が経ってからの入国は、そのぶんだけ滞在日数も大きく削られます。
通常燐国の首都にある、行きたい国の大使館や領事館で取りますが、政治的理由で取れない場合も多々あります。
昨日は取れても今日は取れない、ってことも珍しくないです。

■中国*ウイグル自治区*カシュガル [歴史]

アクスから恐ろしいほど狭い座席のバスで8時間ほど揺られてカシュガルに着いた。
ありえない狭さの座席


夜9時に着いたが、まだ街は明るかった。
そりゃそうだ、中国では北京時間を使っているので、中国の西の端にあるカシュガルは、夜10時にならないと暗くならない。
だからウイグルの人々は、北京時間から2時間遅れた新疆ウイグル時間を、非公式ではあるが使っている。

街に到着した瞬間からこのカシュガルに魅了された。
私が訪れたウイグルのどの街よりもイスラーム色が濃厚だ。
街の真ん中 カシュガルの街なか ざくろ屋の気のいい兄さん達
細い道で カシュガルの街なか2 泊まっている宿


街の中心にある最も有名なモスクからは、アザーンが聞こえる。
イスラームのお祈り時間になるとモスクのスピーカーから響きわたるアザーン。
私はこれが大好きだ。
地域によって、歌のようだったり、説教のようだったり、抑揚が違うのも面白い。
これを聴くと、イスラム圏に居るんだとあらためて実感できる。
中国で初めてアザーンを聴いた。
歌的ではなく説教的だった。
宗教を悪だと教えている中国で、まさか聴けると思わなかった。
店屋の人も店の前でお祈り。
モスク横の商店街 モスクから溢れる人 お祈り時間のモスク正面


以前インドを旅した時、旅の大先輩からイスラームの挨拶を教わっていた。
これはインドでも重宝したので、今回も使ってみた。
[ァサラマレィコン]
これはとても効果を発揮したようだ。
数百年前の民家にいまだ人が住むエリアで、英語を話すガイドが、[ァサラマレィコン]を知っているなら、ウイグルのありがとう[ラフマット]とさようなら[ホーッシュ]も知っておくといいよと教えてくれた。

そしてこの[ラフマット]と[ホーッシュ]には、強い効果があった。
これを使うと、にっこりどころか大笑いになって、[今ラフマットって言ったよねぇ!] と周りの人も巻き込んで皆笑顔になる。
私も嬉しくなる。

しかし悲しい事も、先程のガイドから聞いた。
カシュガルの街でも、他の中国の街のように、大々的な建設工事が行われている。
街で一番大きな公園跡にはマンションが立つらしく、現場を囲った壁に掲げられた写真はどこの街にもある中華風建築だった。
案内してもらった異国情緒たっぷりの古いエリアも、あと4~5年で壊されるそうだ。
住人のため、耐震の建物にするというのが理由らしいが、ここの住人はだれもそんな事は望んでいないという。
古い町1 古い町2 中華マンション建設予定の公園跡


そういえば、全く同じ話しを四川省で聞いた。
昨年地震のあった四川省の地域は、その多くがチベット人の住むエリアだ。
だから耐震を理由に、地震の被害がなかった地域でも、チベットの建物をことごとく壊して、新しいビルを建てているのだと。
しかしチベット人はそんな事は望んでいないと。

しかし、ここへ来るまで沢山の遺跡を見てきた。
シルクロードの仏教遺跡の仏像や仏画は顔がないものが多い。
イスラームが西からやってきて、破壊したのだ。
そしてシルクロードは仏教からイスラームへと代わっていった。
そしてこれからは、中国共産的になっていくんだなと、歴史が移り変わるのを直接目撃し、かなり複雑な心境になった。

■中国*ウイグル自治区*アクス

アクスはすっかり新しい街だった。
特にみどころもなく、イスラーム色も薄く、ホテルも綺麗だが高かった。
中国の別の再開発され済みの街とたいして変わりがなかった。
夕御飯を食べたウイグル料理屋の人はとても感じが良く、彼女達をとても好きになったが、着いた翌朝この街を出ることにした。
アクスの街 店の人が皆好感度バツグンの店。 ホテルの朝食バイキング

■中国*ウイグル自治区* クチャ

トルファンからクチャへは、およそ14時間の鉄道の旅を選んだ。
私が今まで旅で見てきた鉄道からの車窓の全ての中で、一番美しかった。
持ち込んでいたパンの袋が、雲南や四川で標高3000mを越えた時と同じ位膨れていたので、かなりの高さの標高を走っていたのだと思う。
トルファンから列車でクチャへ 汚いガラスの外は綺麗な景色



クチャでは毎週金曜日にバザールが開かれるというので、やって来た。
バザールでは、野菜、肉、服、靴、生きた鳥、植木、その他もろもろ何でも売っていた。
たくさんのウイグル人が集まり、すれ違う人に[それ、いくらだった?]と訊ねていたり、皆大きな買い物荷物を持っていた。
ロバのタクシーはひっきりなしに往来しているし、そんなゴチャゴチャと狭い中、車に高く積み過ぎた荷物が路上で崩れたり、公安と揉めている人がいたり、本当に賑やか。
しばらくバザールをブラブラした。
クチャの市場1 クチャの市場2 クチャの市場3


バザールを出て15分も歩くと、あの喧騒が嘘のように静かな住宅街になった。
ナン屋のおじさんが、おいでおいでをするので入って見ると、絵に描いたような空間でナンを焼いていた。
初めて食べたウイグルのナンは、まるでクロワッサンのようにしっとりした生地が層になっていて、ほんのり甘く、あっという間に直径20cmを食べてしまえる美味しいナンだった。
残念ながら、このタイプのナンは珍しいようで、他でお目にかかることができない。
もっともポピュラーなナン 映画のよう ポピュラーなナン
おじさんが焼いているのは直径40cm程のポピュラーなナン。
公房の真ん中に置かれているのは、クロワッサンのようなナン。
ポピュラーなナンはその後、アクスへ行くまで3日かけて食べた。

■中国*ウイグル自治区*トルファン

中国にはイスラム教徒はたくさんいる。
イスラム教徒を中国では回族と表記する。
初めてカメラをスラれたのは回族自治州だったし、蘭州の名物料理であり私も大好きな [ 牛肉面 ] は回族の料理だし、中国中央部では、中華風な建築のモスクもよく目にする。

しかしここウイグルは、中国の他のエリアの回族とは全く違っていた。
彼らは回族ではない。
ウイグル族だ。
言葉も漢語を使う回族とは違い、アラビアチックな文字のウイグル語を話す。
モスクも私がイメージするタマネギ屋根のモスク。
そして明らかに人々の顔が違う。
ペルシャな感じとでも言いましょうか、とてもエキゾチック。
顔全部を毛糸で編んだショールで覆っている年配の女性も多い。
路線バスの運転手や乗客とは、もう筆談はできない。


敦煌から寝台バスで、ウイグルのトルファンに着いた。
トルファン。
その響きが素敵。
それだけの理由でトルファンに行こうと思った。

寝台バスの中で、私の並びにいた一人旅の中国人女性が、今まで見かけた中国人とは明らかに違う様子だった。
私は、景色だけを楽しみに過酷なバスの旅を選んでいるのに、たいがいの中国人女性はカーテンを閉めて寝てしまう。
しかしその女性は、中途半端に開いたカーテンを大きく開き、起きてずっと外を眺めている。
ラッキー。反対側の景色も楽しめる!
自分に日が当たっているのに、それでもカーテンを閉めない。
こんな中国人は初めて見た。
いやいや違う、スタイルは完全に中国人だが、間違いない、彼女は中国人ではない!

明け方、まだ真暗なところを[トルファンに着いたよ]と起こされて、先のウルムチまで行くバスを私は降りた。
一本道しかない、とても町とは思えない所だった。
と、先程の女性も降りてきた。
どうやらここで降りるのは2人だけのようだ。
バスの中で彼女の行動を見て、私は半確信を持っていたので話しかけた。
[日本人ですか?]
真暗で街灯もなく、ここがどこなのかも分からないが、バスから降りる客を待っていたタクシーで、日本人女性トモコさんと一緒にとりあえず宿を探すことになった。

トルファンで安宿を探すのは難しかった。
中国では外国人が泊まれるのは、比較的高級なホテルとユースホステルくらいしか無いはずなのだが、他の街ではこれが緩やかな所が多く、安宿を探すのには苦労しない。
北京ではこれが非常に厳格に守られていたが、ホテルの数が格段に多く、苦労もしなかったが、トルファンは北京よりはるかに小さな街、ホテルの絶対数が北京とは違う。
そしてこれが厳格に守られていた。。

タクシーの運転手は、どのホテルが外国人を泊めて良いのか知るはずもなく、結局3時間以上は走り回った。
街はすっかり明るくなっていた。

途中、ラチあかないと気付いた運転手は、他の客を乗せて目的地に運びだし、私達は後回しとなった。
おかげで、生まれて初めて油田を見ることができた。
私が以前保有していた中国株[ペトロチャイナ]の油田だった。
油田に通勤で行く客には朝ご飯までご馳走になり、ドライブ気分で私とトモコさんは、観光を楽しんだ。
荒野の油田1 荒野の油田2 荒野の油田3

結局、初めに運転手が連れていってくれたバカ高いホテルに、私達は共同で一部屋取ることにしたが、走り回っている3時間の間に、このホテルは大きく値下げをしていて、100元(1500円)でツインルームが取れた。
タクシーには非常に申し訳ないと思ったが、初めの約束通り2人で20元を払った。

トモコさんとの3日間はとても楽しかった。
見どころの観光地はみな郊外にあり、シーズンオフの3月にツアーは無く、車をチャーターして行く他ない。
一人でこの費用を負担し、一人で感動するのは、私は正直つらくなっていた。

トモコさんはツワモノで、オーストラリアから世界一周を始め、中国では中国語が必須な事に気付き、北京で3カ月中国語を勉強してから旅をしていた。
この旅で初めて会った日本人の一人旅の女性は、非常に興味深い人だった。

先程のタクシーの運転手もそうだったが、ウイグル人は特に親切でおだやかだ。
見た目は怖い感じでも、話しかけると急に優しい笑顔に変わる。
そのギャップが私には嬉しい。
チャーターした車の運転手アリムも、口数は少ないがとても信用できる人だと感じた。

アリムは中国語が分かるトモコさんに、中国語でウイグルやトルファンの事を話してくれた。
観光名所はもちろん、美味しいレストランや屋台街、市場など、私達だけでは知り得ない、トルファンの生活の匂いのする場所へも案内してくれ、おまけにご馳走までしてくれた。
ウイグルのポピュラーな麺[ラグメン]と羊の串焼き。 郊外のバザール入り口、水色の服トモコ、左の紺のシャツはアリム。 トルファン郊外

吐峪溝
吐峪溝の道 吐峪溝の村 吐峪溝の墓地

交河遺跡
1500年前の交河遺跡 割れた食器が無造作に散らばっている。 遺跡の横は崖

2日間車をチャーターし、思った以上にトルファンを充分に楽しみ、しかし今は名物のブドウが枯れ草となっているので、次回はブドウがたわわに実る夏にまた来ようと心から思った。
トルファンのメインストリートのブドウ棚 ブドウ畑


しかしそんな素敵なトルファンを、私達2人で歩いていた時、衝撃的な事件に出会った。
トモコさんがひったくりにあった。
屋台の人と私達が話していると、一人の女性が割り込んできたので、てっきり店の関係者と思いきや、いきなりトモコさんが左手から下げていた袋をひったくり、全速力で人ごみに消えていった。
何かの冗談かと思った。
それを見ていた周りの人は何か私達に言っていたが、この街ではこういうことは珍しくはない様子だった。
幸い、その袋には、先程買ったサモサしか入っていなかった。
だからトモコさんも騒がず、私達はその場を後にした。

ひったくりによる被害はまったくと言っていいほど無かったが、この先長く旅を続ける私達には良い教訓となった。

そしてトモコさんはカシュガルへ。
私はクチャへと向かった。



リサ婆

カレー屋歴3ヶ月
バーのママ歴
中野で4年
歌舞伎町で11年
海外旅行歴
人生の中で延べ約4年
約50ヶ国
春から間借りでカレー屋を始めましたが、7月31日閉店しました。

!注意!お願い!
本文中、イスラム教を国教とした国の事を「イスラム国」と書いたのがたくさん出てきますが、それを書いた時点ではまだイスラム国(ダーイッシュ、ISIS)が無かったため、そのような表記になっております。
ですので本文中にある「イスラム国」は、ISISとは関係なく「イスラム教の世界」「イスラム教を国教とする国」というニュアンスでお読みください。

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