■2009年03月

■中国*[万里の長城]

数日前に嘉峪関で万里の長城の終点を見たと思ったら、更に西にある敦煌に、これこそ本当の終点という場所があった。
こちらは明代の嘉峪関よりも古く、漢代のものだという。
二つの関所が朽果てて残っていた。
これが本当の万里の長城終点の玉門関 陽関

本当に万里の長城は長い。
長い長城には、関所がいくつかある。

そして思う。
中国は今でも、壁とか柵で仕切ることが大好きだ。
入り口も出口も関所に集中させる。
今もそのような街の造りは、長い歴史からきているのだろうと思った。

道路の中央分離帯も、人が越えられない高さで長く続く。
道路の反対側に目的の物を発見しても、その間には果てしなく長い分離帯が横たわっている。
目視では切れ目は発見できない。
目の前に目標があるのに、たどり着けない。
向う側に見えている物にようやくたどり着いても、長い壁で囲ってあり、どちらに行けば入り口なのかはもう運まかせ。
とにかく歩く。
実に体力が必要。
今は車やバイクに代わったが、ひと昔前に皆自転車に乗っていたのは納得できる。

北京で私は、天安門広場のすぐ前に泊まっていたが、いったん広場とは反対方向に歩き、道路を渡り、地下歩道を通ってから地上に上り、すこし歩いてまた地下歩道を通りボディーチェックを受けて地上に出ないと広場には行けない、というとんでもなく遠廻りがとても面倒だった。
近道しようにも、ガードレールが高くて越えられない。
ボディーチェックのためそこまで遠廻りさせるのなら、徹底してすればいいのに、私の他にも素通りしている人は何人もいた。

関所はどこの国にもあったとしても、こんなに長い壁で仕切るなんて、大昔からこの国のエラい人は長い壁が好きなのだ、きっと。


砂漠の柵
砂漠にまで柵を造ってるところも中国らしいと思った。

■中国*甘粛省*敦煌(トンファン)

テレビでシルクロード特集を観ると、だいたい西安と敦煌はセットで紹介されているので、中国に来るまで、西安と敦煌は違うと知らなかった。


敦煌はズラリと彫られた石窟 [ 莫高窟 ] が有名。
石窟の中の壁には仏画が描かれており、仏像を安置している窟もある。
すべての窟には扉がつけられ鍵がかかり、勝手に見ることはできない。
岩壁はきれいに整備され、パッと見は、ただのアパートのよう。
莫高窟1 莫高窟2 莫高窟3

ここは今まで行った有名観光地の中で、もっとも入場料がお得だった。
100元(1500円)で、日本語のガイドも付く。
中国の観光地の入場料は、他の物価に対してそうとう高い。
西安の兵馬俑は、65元と表示しといて90元取られた。
そしてオプションの日本語ガイド費用は最低100元、高いと300元はする。
それが、ここ敦煌の莫高窟では、入場料80元ガイド20元。
外国人は必ずガイドをつけなくてはならないが、日本語や英語を選べる。
私はスンナリ中国人料金で入場させられそうになったが、ここはあえて自主的に日本人だと主張。
20元多く払って日本語ガイドを付けてもらった。
そのガイドは、すでに日本人家族3人に予約されていたので、その人達と一緒に廻った。
お祖父様と20代の孫2人。
付ききりの別の日本語ガイドを伴っていて、私が一人であることを不思議かつ珍しがっていた。
しかし、家族だけでガイドを伴い旅行する人を、私も珍しいと思った。
莫高窟では, 日本語ガイドのお蔭で一通り理解できた。


敦煌の南には砂漠が広がっている。
生まれて初めて砂漠を見た。
鳴沙山 鳴沙山の砂 鳴沙山の砂のアップ


敦煌もまた、急ピッチで再開発中だった。
町の近くに鉄道の駅が開設され、町の中心部は大規模な工事中で、中国お得意の、どこも同じ造りで個性のない [ 古城 ] 風にしている真っ最中だった。
真ん中の写真の [ 折 ] という字は、まもなく取り壊しを意味している。
敦煌の夜 庶民的な一画 個性のない町造り中

私の訪れた街は、どこもかしこも大規模工事中だった。
そしてどこもかしこも似たような造りにしている。
雲南省の麗江や大理の古城 ( 最近造られているので新城と言いたい ) の大型パターン。
おそらく漢族の好きなパターンなのだろう。
続けてたくさんの街を訪れているので、もうお腹いっぱい状態。
いや、それを通り越してかなり胸焼けしている。
日本でも、東京も大阪も札幌も際立った違いはないから、よそ様のお国のことは言えた義理ではないのだが。

■中国*甘粛省*嘉峪関(シャーユークワン)

ここ嘉峪関には、万里の長城の西の終点があると聞いたのでやって来た。
北京で観た万里の長城が、快速電車でも30時間以上かかるここまでつながっていたとは恐れ入る。
嘉峪関の長城1 嘉峪関の長城2 嘉峪関の長城3
秦代ではなく、それより新しい明代に造られた長城。
観光客が誰もおらず静か。

そして長城は、嘉峪関という関所から、すでに朽ち果てた姿となった物見台で終わっている。
嘉峪関から見える発電所と工場群が、過去と現在の時間枠を無視しているようで印象的だった。
嘉峪関 朽ち果てた物見台 嘉峪関からの風景

朽ちた物見台の脇にはこんな景色が広がっている。
物見台の脇1 物見台の脇2 物見台の脇3

この谷が長城の役目をしていたのだね。
そこには昔の様子を再現したセットが造られていた。
物見台の脇4 物見台の脇5 物見台の脇6

左の写真の右上の岸壁に掘られた、物見台と景色を物見する大きな展望台が、とても小さく感じる。

中国は本当にダダッ広い。

■中国*陝西省*西安(シーアン)[ 街なか ]

中国は、書くという事に関しての達人が多い。
北京で見かけた爺様は、巨大な筆で水を墨代わりに、広場の地面に達筆な文章を書いていた。
土産物屋では、米に筆で名前を書いてくれる。

そして西安の中心地で見かけた、手のない書家。
手のない書家
恐ろしく美しい文字を小さく書き綴っていた。
私はただの乞食にはお金をあげない。
私を感動させる人は別だ。
この人は乞食というより書家だった。
感動料として、中国で初めて物乞いにお金をあげた。

大雁塔
西安はシルクロードの起点の街。
ここから三蔵法師も旅立った。
テレビで西遊記をやっているのが、これがチープな作りであるが故か、非常にわかり易く面白い。
どのチャンネルでどの時間だかわからず、まだ3回ほどしか観ていないが、1回完結のドラマで、また会えることを楽しみにしている。
三蔵法師の像が建つ大雁塔の前の広場では、子供も大人も凧揚げに興じていた。

西安の路線バス
中国のバスはだいたいがオンボロ。
このバスもフロントガラスがかなりヤラレていた。

■中国*陝西省*西安(シーアン)[ 兵馬俑 ]

西安で楽しみにしていた一つ兵馬俑。
テレビで観るより、その規模の大きさに驚いた。
圧巻。

秦始皇帝の墓の近くにあり、それを守っていると言われている。
1974年、井戸を掘っていた農民によって偶然発見されたのだが、こんなものが見つかるなんて、当時はそりゃ驚いたろうな。
兵馬俑1兵馬俑2兵馬俑3

人形の身長は2mくらいだが、私はこれはおそらく実物大だと思う。
北京では特に感じたが、中国には身長の高い人が多い。
もしかしたら地域の問題かもしれないが、北京の地下鉄の乗客は、男性の半分が身長175cm以上を超えている。
更にそのまた半分は185cm以上あると思われる。
広い中国で気付かなかったが、狭い地下鉄に立っているとよくわかる。
軍人は間違いなく180cm以上だ。
だから兵馬俑の人形は、当時の軍人たちの実物大に感じる。


新人の軍人達が大挙して兵馬俑を見学に来ていた。
2200年前の軍人を2200年後の軍人が見学しているのは面白かった。
兵馬俑5 兵馬俑4

それにしてもこんなもが現代になって発見されるなんて、壮大なロマンを感じる。

■中国*[無用なシルバーシート]

中国の路線バスにはシルバーシートが設けられている。
しかし、これこそ本当にこの国では必要ない。

なぜなら若者は、老人や妊婦や子連れの人が乗ってきた瞬間、早い者勝ちであるかのように、自分の席を開けてそこに誘導する。
町の階段でも、老人の手を取って一緒に上り下りしている。

これには正直驚いたし、感動した。
そして、日本もこれは見習うべきだと思う。

日本なら多くの人が、電車やバスで、自分の前にシルバーの方が立ってから譲ると思うし、寝たふりの人も多い。
老人が歩道橋など上っていても、今まで私は手を貸したことがなかった。

本当にすばらしい!
私が日本に帰ったら、さっそくこれは実践したい。

■中国

今まで思い込んでいたことが、実は違ったということがよくある。
3/17に、売ると買うが同じ言葉と書いたが、実は違うことが判明。
ごめんなさい。
こうして中国語を少しづつは覚えていくのだけど、少しづつではどうにもならない。
なぜなら、中国人は実によく人に話しかけるからだ。

3/15の日記でも書いたように、中国の街中の表示はまったく信用ならない。
長距離バスの時刻表やら運賃表、
観光地の入場料、
博物館や美術館の営業日、
赤信号や青信号、
ホテルフロントの価格表 (これは良い、実際は表示よりかなり安い)
などなど、表示の真下で違うことが行われている。

でも、中国人はおそらく皆それを知っている。
だから近くの人に訊くのだ。
だからしょっちゅう私も話しかけられる。
よそ者の多い観光地で、それは顕著だ。

私もかろうじて、[これはどこにありますか?] [ここに行きたいです] などは言えるようになったのだが、皆親切に教えてくれる。

中国人は、知らない人から話しかけられるのは当たり前のようで、電車やバスの中でも、初対面と思しき人達同士でよく話しが始まる。
とても面白そうだ。
私も話しかけられ、[あなたの言ってることが分かりません]と言えば、たいがい[どこの人?]と聴かれる。
日本人とわかると、ゆっくりはっきり話してくれるのだが、残念なことにそれでも理解不能。
たまには [中国語を話せないなんて君はバカか] らしき事を言われもするが、そんなことは非常に稀で、そこら辺にいる人達は本当に親切だ。

そして好奇心旺盛、観察もよくしている。
[なぜ今、こういうアクションをしたの?] [これは何?] など、私のやっていることや持ち物をよく見ている。
カメラも盗られるハズ。
観察されていたのだ。

中国では、中国語を話せればどんなに楽しいことかと思う。
私こそこの中国を観察して、疑問に思うことばかりだ。
それをすぐに隣の人に訊けたら、どんなに面白いだろう。
そしてどんなに旅が楽になるだろう。

NHKで福原愛ちゃんに中国語習っとけばよかった。

■中国*陝西省*西安(シーアン)

西安といえば、シルクロードの起点の街。
今回の旅で、最も楽しみにしていた街の一つである。

北京から夜行列車に乗り、そして中国の夜行列車は実に快適で安く、大きく分けて5つのランクがあるが、上から2つ目の、硬いベッドのお気に入りのクラスで、気分良く西安にやって来た。
古い城壁が今もなお残っている、中国で唯一の都市の西安。

早朝に到着したので、宿をとってすぐに街中の様子を伺いにくりだした。
そして、あろうことか、またしてもカメラをスラれてしまった。

銀川で日本からもってきたペンタックスの最新型をスラれ、その後の写真は携帯電話のカメラで撮っていた。
モンゴル自治区や北京の日記の写真は携帯でのものだ。

北京でオリンパスの旧型を購入し、ようやく使い勝手に慣れたところだった。
北京は本当に面白いシーンが数々あったので、慣れるためにもたくさん写真をとっていた。
新しいカメラ購入後は意識的にカメラをカバンに仕舞うようにしていた、が、西安でヤラれた。

しかたない、また新しく買った。
今度はバネ式ストラップも購入。
カバンとカメラを繋ぎ、仕舞う場所も変えた。

前回の北京での購入の際もそうだったが、従業員に試し撮りをさせてと言うと、私ではなく従業員が撮って、それを再生画面で見せる。
使い勝手は私が決めることだと思うのだが、従業員は決まって[とてもいい使い心地です]と言う。
ギャグみたいなやり取りなのだ。
しかし、大金をはたく大買物である。
[ああ、そうですか。使い心地はいいのですね]とは言えない。
強引に試し撮りをさせてもらう。
そういえば中国では、[売る]と[買う]は同じ言葉だ。
だから、その辺の感覚が違うのだろう。
売ると買うは違う言葉と判明。(3/18)

2回もスリにあい、大切なデータと高価なカメラを失い、この先無事にやっていけるのか?!と前回以上に自信を無くしたが、更なる対策をもって、気も張るように心がけた。

カメラ購入で1ヶ月分の旅行費を使い、今まで1元5元(15円75円)と節約していたのがアホ臭くなり、やや浪費ぎみなこの数日である。

■中国*北京(ベイジン)②「地図」

天安門1 万里の長城 鳥の巣
北京いえば、私のイメージはこの3つ。
天安門、万里の長城、オリンピック。

北京はつまらないと多くの人から聞いていたので、行く予定はなかった。
しかし、この国の首都を見ないことには中国を語れないなと、中国の地理的ド真ん中の蘭州で思い、ガイドブックも持たずに北京に行くことにした。
今までガイドブックには載っていない町には数々行ったが、こんな大都市に予備知識ほとんどなく行くのは、この旅では初めてだ。
一応グーグルマップで地理だけ頭に入れたが、これが碁盤目の街なので非常に覚えやすい。
北京駅の近くに天安門があり、天安門の向かいが天安門広場だ。
この辺りがおそらく中心地だろうから、ここを目指せば宿も食べ物もなんとかなりそうに思えたので、街の中心からかなり離れたバス停に到着したが、とりあえずバス停で北京地図を購入し、北京駅を目指した。
そして思った通り宿も食べ物もなんとかなった。

上海が六本木なら、北京は新宿といった感じ。
昨年訪れた上海に比べ、なんとなく垢抜けない。

この3ヶ月間中国を旅してきて、今まで中国で感じたこと気づいたことが、この北京には凝縮していた。

オリンピックが終わった後もなお、北京は建設ラッシュだ。
破壊と建設。
これは中国に来てから、どの街でも感じたこと。

胡同(フートン)という昔ながらの中国式の家で庶民が暮らすエリアはどんどん壊され、マンションやホテルが建てられている。
こういうエリアは住所自体が○○胡同なのだが、高級ホテルが立ち並ぶ通りを歩いると、ピカピカのペニンシュラホテルの入り口の住所板に「金魚胡同」などと記してあり、胡同の面影はわずか住所だけだ。
ただこの3ヶ月の経験上、この高級ホテルエリアの住所は近いうちに変更される気がする。

中国の道や住所や建物の名前は1年前と違うことがよくある。
どころか、道自体が新しくできていて、日本で発行されてるガイドブックの地図など、まったくあてにならない。
と思ったら、北京でもっとも多く売られている地図(北京公式観光地図はおそらくこの1つ)もさっぱりあてにならなかった。

北京で観光客が持っている地図は皆同じこの地図なのだが、これは未来予想図だった。
地下鉄は現在何路線か開通しているが、この2倍以上の路線が、現行の路線と同じように記してある。
明日はここで乗り換えてあそこへ行こう、などと宿で計画を立てても、実際駅に行ってみると、そんな電車は無いのだ。
道路も同じこと。
観光客用として唯一売ってる2009年度版地図が、こうなのだ。
北京では、この地図片手に迷っている様子の観光客をよく見かける。
しかし実際これをすべて2009年中に出来上げる予定なのかもしれない。

地図はその典型。
中国には、わざわざ表示しているのに、実際には無いものがたくさんある。
代表的なのはトイレ。
街のあちこちに「公共厠→」などと表示があるので、初めは安心していた。
ところが、実際厠に行こうと表示どおりに行くと、迷ったり無かったりすることが多い。
これには正直あせる。
中国の道は長い。
「公共厠→200m」なんて書いてあっても、実際は300m400mはザラで、切羽詰ってる時にこの表示を頼りに、延々1キロ小走りして結局元の場所に戻ってしまって、「バカじゃないの中国!」とつい言ってしまう場面はよくある。
ドアに厠と書いてあっても信用してはいけない。
鍵がかかっていたり、厠のくせに大小便禁止だったりする。
オリンピック会場の「鳥の巣体育館」では、掃除人がトイレを使わせないという場面に出会った。
30個ほどある個室に入ろうとする客を追い払うのに忙しく、掃除をする暇が無いから使わせない、という本末転倒な話だ。
しかし北京はそうとうマトモな方だ。
実際に表示通りに公共厠があって使える確立は80%、他の街だと実際には無い確立80%だ。

初めからそんな表示出さなきゃいいのに、は、まだある。

矢印。
二股の道では真ん中や、壁に突き当たる所で真っ直ぐを指している事にはもう慣れてきたし、
「←東 →北 ↑西 ↓南 」なども笑えるようになってきた。

あと観光地の説明。
日本語らしきことが書いてあるから読めば、さっぱりチンプンカンプン。
欧米人いわく、英語もフランス語もさっぱりチンプンカンプンだと。
英語はイングリッシュではなく、チン(中国)グリッシュなのだと。
なのにわざわざ外国語らしき表示をしてる。
日本でももしかしたら外国語の説明文はそうなのかな、などと思ってしまう。

中国での観光地の説明文に意味はわかる外国語が書いてある時は、見ればわかる事ばかりの羅列で、なぜそうなのかなど一番知りたいことは、 「ある理由でこうなってます」 なんて書いてあり、結局なんの説明にもなってないこともよくある。

それと交通整理のおじさんおばさん。
私から見ると交通整理の人らしき服装なのだが、道路の脇に旗を持って立っているだけ。
天安門広場の前などは交通量もはげしく信号も無いので、彼らは事故があった時の目撃証人者としての役割だけを請け負ってる人達なのかもしれない。
そんな格好してるから交通整理の人だと勘違いしてしまう。
でもこれも中国じゃ当たり前の風景。


しかし、外国人ツーリストがよく口にする言葉、
「This is Chaina」
呆れたり怒ったりイライラしてはいけないのだ。
これがすべて中国なのだ。

■中国*北京(ベイジン)

北京には来る予定ではなかった。
しかし中国を旅行していて、この国の首都を是非見たくなった。

来て良かった。
北京、面白い。
この3ヶ月間で見てきた中国が、ここには凝縮されている。

■中国*内モンゴル自治区*シリンホト*「マイナス20℃」

フフホトで、初めて入ったモンゴル料理屋の家族が、とてもいい人たちで気に入ったので、2日間そこに通った。

せっかくモンゴル自治区に来て、モンゴル料理を1軒でしか食べていないのは、自分で納得いかないので、もっと田舎の町で羊肉を堪能することにした。

そこでこの自治区について調べてみると、シリンゴル盟という地区があった。
「シリンゴル」
それは私が日本で行ったことのある唯一のモンゴル料理屋、巣鴨の「シリンゴル」と同じ名ではないか!?
これは期待できそうだ。
きっとモンゴル料理屋がひしめき合っているに違いない!

そしてフフホトから10時間かけて、シリンゴル盟の首都、このシリンホトへやって来た。
シリンホトへ2 シリンホトへ3 シリンホト開発
高速道路沿いに、工業地帯はあったもののゲルはなかった。

そして、ここは冷たく痛い。
緯度は北海道の旭川とほぼ一緒。
気温は最低気温マイナス20℃最高気温マイナス6℃。
朝起きたら、部屋の窓ガラスの内側が凍っていた。
晴れていて、寒くはない。
服からでている顔は麻痺して、寒ささえ感じない。
凍りつく窓

ここでもモンゴル料理屋は、探さないと無かった。
ずらりとありきたりな中華屋ばかり。
探せばあるので、見つけた時に、そこで食事をしている。
湯餃 湯餃2

塩茹で羊肉など、骨付きのまま茹で上げただけの物など、シンプルなのに物珍しくはあるが、これといって美味ということでもなかった。
モンゴル料理は、この寒い地方の人たちの栄養をとる手段的な、油っぽい食べ物が多いのが特徴だ。
しかし、塩味のミルクティーだけは、とても気に入った。
身体の芯から温めてくれる。

自分で納得のいくまでモンゴル料理を堪能できたので、明日、いよいよこの国の首都、北京に行くことにした。

■中国*内モンゴル自治区*フフホト*「HOTHOT」

3ヶ月前に中国に来てから、ずっと気になっている地名がある。
それは「HOTHOT」

中国のCCTV(日本のNHKのようなもの)の9チャンネルは英語放送をやっているのだが、これがけっこう面白い。
中国各地の観光レポートや世界のニュースなどを英語で放送している。

このチャンネルの天気予報で気になる場所がある。
いつも気温がマイナスだ。
最低気温がマイナス20℃を下回るときもある。
なのに名前は「HOTHOT」
これは面白い。

このHOTHOTは何処なのだろうとずっと思っていたが、最近これはフフホトだということに気づいた。
この3ヶ月間で、中国を南から北に上がってきたのだから、せっかくだからこのフフホトに行ってみよう。
そしてこのフフホトはモンゴル自治区なのだから、きっとまた違う「食」に出会えるに違いない。

銀川からフフホトまでの道のりでは、きっと遊牧民の移動用住居ゲルが見れるだろうと心膨らませたのだが、高原には、ときどき発電所が現れたが、ゲルは現れなかった。

フフホトは都会。
そして寒い。
緯度は北海道の函館くらい。
フフホト駅 フフホトの大通り フフホトの果物売り

この地で、まず最初食べる朝ごはんはモンゴル料理にしたかった。
しかし、モンゴル料理屋は見当たらなかった。
どこもかしこもごく当たり前のどこにでもある中華料理屋だった。
昼過ぎまで探し回ったが、モンゴル料理には出会えず、結局イスラム教徒の営むウィグル料理屋に入った。

その後も街を歩き回ったが、モンゴル料理屋はなかった。

夕方、ホテルに戻ると、ホテルのすぐ近所に、あれほど探し回ったモンゴル料理屋が1軒あるではないか。
そこで夕食をとった。
フフホトの草原人家 蒙古包子と湯とネイ茶 肉餅とネイ茶


宿に帰ってCCTV9を観て、あれれと思った。
3ヶ月間、「HOTHOT」だと思い込んでいた場所は「HOHHOT」と表記されていた。

リサ婆

カレー屋歴3ヶ月
バーのママ歴
中野で4年
歌舞伎町で11年
海外旅行歴
人生の中で延べ約4年
約50ヶ国
春から間借りでカレー屋を始めましたが、7月31日閉店しました。

!注意!お願い!
本文中、イスラム教を国教とした国の事を「イスラム国」と書いたのがたくさん出てきますが、それを書いた時点ではまだイスラム国(ダーイッシュ、ISIS)が無かったため、そのような表記になっております。
ですので本文中にある「イスラム国」は、ISISとは関係なく「イスラム教の世界」「イスラム教を国教とする国」というニュアンスでお読みください。

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