■2009年02月

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■中国*寧夏回族自治区*銀川(インチュアン)*「たび重なる事件③」

パトカーでホテルに向かうことになった。

初め乗り込んだパトカーはなぜかエンジンがかからなかった。
乗り換えようとしたパトカーは、運転席の扉以外開かず、しばらく数人であれこれやっていたが、結局運転席から乗り込んだ。
警官達は大笑いしていた。
こんな事、不思議だよ、可笑しいね、と警官の一人が話しかけてきたが、私は笑えなかった。

ホテルでは、3人の警官と私を見て、先ほどのフロントの女の子が心配顔になった。

そして、警官達が豹変するのを見た。

今までの私への態度と180°変わった。
強い口調で何か言っている。
女の子は完全におびえていた。
初めて見る男性が現れ、たぶんこのホテルのオーナーであろう、彼が対応をした。

しばらくやりとりが続き、台帳やらなにやらチェックを受けていた。

その間、オーナーらしき男性は、しきりにタバコとお茶をエリートに勧めていたが、エリートは断っていた。

私はそばで様子を伺っていた。
申し訳なくて、顔を上げることができなかった。
30分ほどやり取りは続いた。

オーナーにもフロントの女の子にも引きつった笑顔が現れてきた頃、エリートは私に言った。
「あなたは今晩と明晩の2日だけここに泊まっていいですよ。」

エリートは私が翌々日のフフホト行きのチケットを持っていることを知っている。
だからそれまでここに居ていいというのだ。
ということは、ホテルも営業停止ではないのだ。

意外な展開だった。
何をどうしてこういう展開なのか、私の予想は狂ったが、安堵感と申し訳なさで胸がいっぱいになった。

以前、英語を話す中国人の5人兄弟(!)の女の子が、中国はお金を払えば何とでもなるのよ、と私に言ったことを思い出した。

お金の力でなんとかなったのであろうか?
私にはわからない。

エリートは言った。
「長い時間でお腹もすいたでしょう?一緒に晩ご飯食べませんか?」
とてもお腹は空いていたけど、とてもじゃない、一緒にご飯なんて食べる気になれない。
疲れているからという理由で断った。


この結果を私は安堵していいのか、いまだ複雑な心境にいる。

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■中国*寧夏回族自治区*銀川(インチュアン)*「たび重なる事件②」

ホテルの女性に連れられ、公安警察で、大まかな事情を彼女は話してくれたようだった。

確認のため、私も警官に大まかな事情と、被害証明が欲しいことを伝えた。
私に少し待つように警官が言い、彼女は安心して帰っていった。

しかしその公安内は私の被害届けどころではなかった。

私が座らされた椅子から、開きっ放しの扉の隣の部屋の一部が見えた。
その奥から、男の泣き叫ぶ声が響いていた。
それは悲鳴に似ていた。
その男は尋問(?)を受けている様子だった。
何か壁に叩きつけるようなゴンゴンという鈍い音やら、時たま怒鳴り声も聞こえる。
入り口に靴が1足放り出されていた。
床上30cmにはパイプのバーが備え付けてあり、手錠がぶら下がっていた。
入れ替わり立ち代り、複数の警官が出入りしている。
新聞紙にくるまれた長い棒状の物や、私にはどう使うのかさっぱりわからない物体を持ち込んでいる。
現場は見えなかったが聞くに堪えず、いつまで待つのか尋ねたが、まだ待てと言う。
2時間程その状況の中待たされた。

仕方ないので、警官達のランク付けをして時間を潰した。
誰が上司で誰が下っ端か。

そのうち隣の部屋は静かになり、救急と書いた大きなカバンを持った白衣の人が、武装警察と共に現れ、同時に私にもラフな格好の通訳がやって来た。

その人は今まで私が付けたランクでいきなりトップにおどり出た。

彼は通訳ではなかった。
自ら私に流暢な英語で質問してきた。
なぜ、盗難だと思うのかから始まり、合作の町で訪ねられたような、旅行に関しての細かい話しを訊かれた。

そして当然の質問になった。
「どこのホテルに泊まっているんですか?」
答えると、部屋の空気が変わった。
私は瞬時に理解した。


中国にはホテルは2種類ある。
外国人が泊まっていいホテルと、いけないホテル。
それは私達ツーリストには一見しただけでは判らない。
訪ねて断られれば、外国人を泊めてはいけないホテルだ。
しかし貧乏旅行者が泊まるような安宿は、外国人を泊めるライセンスを持っていないのに、こっそり泊めていることがほとんどだ。


いきなりそのエリートが警官達に指図を始めた。
そして私に言った。
「あなたはこの後、私が紹介するホテルに移らないといけません。あなたが泊まったホテルは外国人を泊めてはいけないホテルなのです。」

あのホテルが摘発される!

私は歌舞伎町で何度も、いや何十回も、店が摘発される現場を見ている。
容赦なく、店内の重要なものは運び出され、その日からその店は営業停止だ。
そして従業員は逮捕され、しばらく刑務所暮らしだ。

今朝丁寧にバスターミナルへの行き方を教えてくれた女の子や、カメラを無くして相談に乗ってくれた2人の女の子、ここまで連れてきてくれた女性、のことが頭に浮かんだ。

なんてことになってしまったんだ!
被害届けなんて出さなきゃよかった!
私のせいでこんなことになるなんて!
自分に悔しくて涙が出てきた。

そしてエリートはにこやかに、私にカメラの盗難被害証明書を渡したが、私はちっとも笑う気になれなかった。

■中国*寧夏回族自治区*銀川(インチュアン)*「たび重なる事件①」

ここ銀川は、
中国史が好きな人には、「西夏王国」の首都だったところ、と言えば分かるのではなかろうか。
食べ物好きには、「クコ」の産地、と言っておこう。
クコの実を、お茶に入れて飲むことを、前の都市蘭州で覚えたので、日本では高価なこの実をやや多めに買いだめをした。
また、この実は酒に漬け込むと、滋養強壮酒になるという。

そしてここは乾燥している。
日本から持ってきた「メンソレータム薬用リップ」はここでは役立たずになった。
つけてもつけてもすぐに唇が乾燥する。
だから洗濯物も乾くのが早い。
成都では2~3日乾かなかったが、ここでは半日で乾く。
喉も渇く。


銀川に到着した翌朝、フフホト行きのバスの出るターミナルへの行き方を、宿のフロントの女性に訊いたら、実に親切丁寧に教えてくれ、かなり遠くの場所だったが、迷うことなくすんなりとそこへ行けた。
そもそも私は、宿のフロントの人が気に入らないところへは泊まらない。
だから私の泊まる宿の人は皆、優しく丁寧で感じのよい人ばかりなのだ。

バスターミナルの手前に空き地の面白い風景があったので、それを写真に撮り、カメラをいつも通りカバンのいつものポケットにしまった。

歩いてここへ来るまでに、この町は3泊すれば満足するだろうとふんで、翌々日のフフホト行きのチケットを買い、ターミナルから公共バスで街で一番大きい公園へ行った。

公園では子供達が凧揚げをしていて、凧屋がたくさん出ていた。
日本の凧とはかなり趣が違って面白かったので、その風景を写真に撮ろうとした。

ところがだ、無いのだ。
カメラが無い。
カメラだけが無い。

自分を落ち着かせ、全身全部探したが見つからなかった。
最後に写真を撮ってから、1時間は経っていない。
その間、どこでどうして無くなったのかさっぱり見当がつかない・・・・

脱力した。
この旅のすべての映像が入っているだけでなく、ロマンと一緒の1週間にロマンのカメラで撮った写真やビデオもすべてもらってその中に納めていた。

もう見つからないと分かっていた。
この街がやけに広く感じた。

しばらく公園にたたずんでいたが、諦めは案外早くついた。
財布もパスポートも無事だ。

私はクレジットカードを持っており、それには日本出国後3ヶ月間の保険がついている。
おそらくスリに遭ったのだから、盗難被害証明をもらい、保険を適応して新しくカメラを買おう!

近くの人に、警察はどこか訊いたが知らないと言われた。
ここは都会。
誰が地元の人で、誰が観光客なのか、私には分からなかった。

こういう時は宿に帰って相談しよう!

宿のフロントで事情を筆談すると、横でそれを聞いていた掃除人の女性が、
「20分待ってて。そしたら私の仕事が終わるので、警察に一緒に行って、事情を話してあげる。」
と言ってくれた。
心から有難いと感謝した。

が、私は、結果的にこの恩を仇で返すこととなってしまった。

■中国*甘粛省*蘭州(ランジョウ)*「ロマン⑥」

甘粛省の蘭州に強制輸送された私達は、もう自由だった。


蘭州では、急に「食」が変わった。
ここは牛肉麺(ニュールーメン)の発祥地。
町の中は牛肉麺の文字だらけ。
専門店も多くあり、大か小か量を選べ、麺の太さを選べ、牛肉スライスのトッピングもでき、漬物もセットにできる。
ベースのスープは透明で辛さはないが、仕上げにラー油をたっぷり入れる。
行列のできている専門店のものは、後味にとてもさわやかな薬草のような香りがして、非常に美味しい。
食堂では、麻婆豆腐などのメニューもあるところもあったが、ここは肉文化のようだ。

いつも思う。
通り過ぎた食べ物飲み物達はどれも美味しかった。
香港マカオのエッグタルト。
広東地方のお粥や腸粉。
福建地方の鉄観音。
雲南地方の米線。
四川地方の麻婆豆腐や魚香茄子。そして激辛鍋。
蘭州の牛肉麺もそうなるのだろう。
他の地方では、あえて探さないと出会えないし、出会ったところで本場ほど美味しくないだろう。



蘭州に到着した翌日、町の北側を流れる黄河周辺を散歩し、今後はお互いどのようなルートをとるのか話した。

蘭州は地理的に中国のド真ん中。
シルクロードの要の土地でもある。

私は更に北上しモンゴル文化圏に行き、ロマンはそのままシルクロードを西に向かうことになった。

最後の夕食では今まで以上に色んなことを話した。
過去の旅の話し、お互いの母国の話し、家族の話し、恋人の話し・・・

そしてロマンは西へと旅立っていった。

どうもありがとう、ロマン。
あなたのお蔭で、楽しかった。
面白い出来事ともたくさん出会えました。
興味深い話しもたくさん聞けました。
お互い身体に気をつけて、人生の長い旅を続けましょう。
本当に感謝しています。
ありがとう、ロマン。

私は北上して、銀川に向かった。

そして銀川で、私には、さらなる事件が起きた。


追伸
ロマンのブログに私の写真あります。2009.02.17、2009.02.18、2009.06.12。文章はドイツ語です。)

■中国*甘粛省*合作(ラーツェ)*「ロマン⑤」

事件は朗木寺から夏河へ向かう途中、合作という町の入り口で起きた。

このルートでは、途中しばしば公安の検問所があり、チベット人だけが厳しいチェックを受けていた。
身体検査されカバンの中もすべて調べられていた。

合作の町の入り口近くで、今までに無い大規模軍隊が道路の真ん中に砦を作ってるのが見えた。
どこの国でもそうだが、軍関係のものを写真に撮ったことがバレると面倒なことになる。
分かっていたが、これだけ距離があれば大丈夫だろうと、こっそり1枚だけ写真を撮った。
どう写っているのか、撮った私もわからない。

やはりチベット人だけがバスから降ろされ、厳しくチェックされていた。
しばらくバスは停車していた。

ややもすると大人数のアーミーがバスに乗り込んできて、まっすぐ私に向かって来て言った。
「カメラを出しなさい」
写真を撮ったのがバレたとすぐ分かった。
素直にカメラを出し、撮った写真を見せた。
そこには、バスの通路を隔て座っていた乗客達の姿の間から窓ガラスを通して、砂袋の砦の向こうに緑色の服の軍隊がうっすら写っていた。

消去しろと言っているのが分かったので、急いで消去し、他には軍隊を撮っていないことも見せたら、先頭の一人が「OK」と英語で言ったので、ホットしたのもつかの間。
またしても大人数が乗り込んできて、今度はロマンに降りろと言う。
砦の近くで軍人達に囲まれ、もめているロマンをバスの中から見守った。

ロマンが降ろされ5分くらい経過しただろうか、またまた軍人が私のところへやって来て、ロマンの荷物もすべて持って、私も降りろと言う。
その時私はカメラを取り上げられた。

すべての荷物をバスから出し、私達は近くの建物へ連行された。
ロマンはパスポートを取り上げられていた。

建物の部屋に入ってギョッとした。
入り口横には、おそらく拷問椅子であろう鉄製の物体が、無造作に置いてあった。
その椅子は、手首と足首と腰をボルトで止める仕組みになっており、転倒防止のためか4本足の床との接触部分には、同じく鉄製の円盤が付いていた。

私たちは奥にあったパイプ製の簡易ベッドに座らされ、見張りつきで1時間程待たされた。
ロマンはカタコトの中国語が話せるが、初めから一切英語で通していたので、公安はおそらく通訳を探していたのだ。

私と彼の会話は自由だった。
「あの椅子見た?」
と、私が訊くと、彼は、
「BADな映画でああいうの見たことあるよ」
と答えた。

通訳が見つかったのかその後、私達は車で合作の公安本部に運ばれた。
車はフォルクスワーゲン社のものだった。
「僕にこんな仕打ちしといて、車はドイツ製だよ」
ドイツ人のロマンはイヤミっぽく言った。

合作の公安本部で、英語の通訳を通して尋問が始まった。

初め通訳が「ようこそ中国へ、そして我が町合作へ」と言ったが、どう考えても歓迎している待遇ではなかった。
中国に来た目的、今までのルート、なぜ合作に来たのか、これからどこへ行くつもりだったのか、私達はどこでどうして知り合ったのか、など詳しく訊かれた。
ロマンとは黄龍からずっと一緒に観光していたので、彼がその辺のことは、英語下手な私の代わりに話してくれ、私はうなずくだけだったので助かった。

2人とも部屋の中で写真を何枚か撮られ、パスポートは何枚もコピーされた。
コピー機は富士ゼロックス社製だった。

公安いわく
「今、チベットエリアは外国人にとって大変危険で、暴徒があなた達に危害を加える恐れがあります。そんなとき夏河の警官は皆チベット人なので、あなた達を助けることができません。あなた達をこうして助けられるのは私達だけです。だから夏河には行けません。そしてここも危険なので、あなた達は今すぐに蘭州に行かねばなりません。」
ですと。

もうすっかり日は暮れていた。
蘭州までは5時間かかる。
到着は夜中になってしまう。
ロマンが、今晩はこの合作に泊まりたいと願い出たが、無駄だった。

バスターミナルへ連れて行かれる時、
「車はドイツ製、そしてコピー機は日本製だったよ」
と私が言うと、
「僕も気づいたよ」
とロマンも笑った。

蘭州行きのバスに乗せられ、その後バスがチベットエリアを抜けきるまで、ずっとパトカーが私達のバスの後ろを走っていた。

こうして私達は蘭州に強制送還された。

公安は、あくまでも私達を守るために、このような対策をとっている風な感じをアピールしてたが、あれはどう考えても逮捕・拘束・尋問だった。

ロマンも言っていた。
「暴徒が僕達を襲うって?!チベタンは中国当局に抗議しているのに、なぜ僕達を襲わなきゃならないんだ?!」


中国政府はオフィシャルには、チベット自治区以外の四川や甘粛のチベットエリアを、外国人は入境許可証無く自由に観光できる、と謳っており、私達が訪れたのは四川と甘粛だが、実際は政府の言っている通りではないらしい。

通常、「チベット自治区」へ外国人が入るには、中国政府の発行する「チベット自治区入境許可証」が必要だ。
ただしこの許可証は、昨年3月のチベットで起きた暴動以来、貧乏ツーリストには一切発行しなくなった。
(ちなみに莫大な金額を払えば、かなりの厳しい条件付で発行されると言われている。自由行動は一切無い3~4泊ほどのツアーで、10万円以上との噂があるが、どこの旅行代理店で扱っているのかわからない。)

3月はチベット暦の正月だ。
昨年の暴動も3月に起きた。
そして今年は、ダライラマがインドへ亡命して50年目にあたる。
今年の3月にも大規模な抗議が行われる事を、中国政府は予測している。
中国はチベット問題にピリピリしているのだ。

今回はこの程度の事で済んだから良かったものの、世界中いたるところで揉め事は起きている。
それを肝に銘じた出来事だった。

■中国*四川省*朗木寺(ランムース)*「ロマン④」

四川省から甘粛省の蘭州へ山の中を抜けるため、私達は二つの町に立ち寄る予定だった。
一つ目は朗木寺(ランムース)。
二つ目は夏河(シャハ)。


この辺りの山中はチベット文化圏だ。
バスに乗っていても、景色ともども人々の服装も楽しい。
朗木寺行きバス 朗木寺までの車窓 道路が見える
チベット人のお婆さん



朗木寺はチベット人の住む小さな村。
村には二つのチベット寺院があるが、文化大革命によりいずれも壊滅的に壊され、1980年代に再建されたのだそうだ。
寺院には鳥葬場もある。
鳥葬場には、カラスよりやや小さめの黒い羽を持った赤い口ばしの鳥がたくさん飛んでいて、やや怖い感じがした。
犬の死骸がまるで生きているようだったが、写真を撮る気がしなかった。
人の亡骸はなかった。
朗木寺のメインストリート チベット僧で賑わう道 朗木寺の町

朗木寺では、この旅始まって以来の安宿(25元=350円)に泊まったが、オイルヒーターもあり景色も良く、気に入った。

私達は、半日あれば十分町を散策できる朗木寺を翌日の昼に出発し、次の町、夏河へ行くことにした。

そして、夏河に向かっているバスで事件は起こった。

■中国*四川省*九寨溝(ジュウジャイゴウ)*「ロマン③」

黄龍で車が通るのをしばらく待っていた私達は、休業中の乗り合いバスの運転手に発見され、無事に松藩に帰れた。

翌朝、九寨溝に移動したが、この町も閑散としていた。
ゴーストタウンのようだ。
九寨溝1 九寨溝2 九寨溝3

しかし、720k㎡ある国立公園は広大で美しかった。
観光客がほとんどいないので、この景色を一人じめ、いや二人じめだ。
九寨溝4 九寨溝5 九寨溝7
2日間かけて私達はこの九寨溝を散策した。
九寨溝8 九寨溝9 九寨溝6
標高3000m以上のところにこんなに美しい場所があるなんて、これはいくらなんでも中国の作り物ではないであろう。
神秘を感じ、穏やかな気分になった。

■中国*四川省*黄龍*「ロマン②」

黄龍の入り口は閉まっていたが、入り口横の建物に人影があったので、そこで尋ねてみた。
10時に開門だという。
現在8時。
外は凍てつく寒さ。
その守衛に、部屋の中に入れてもらえないか頼むと、こころよく入れてくれた。
守衛は気を利かせたのか、宿泊部屋のテレビをつけ英語字幕付の番組にしてくれ、つまらないバラエティーだったが、時間をつぶせた。
ロマンと一緒に黄龍を散策することとなった。

黄龍は予想外の景色だった。
本来の黄龍は、棚田のような池がいくつも段々状にあり、縁の石灰質の黄色と青い水が美しいコントラストを描き、絶景なはずなのだ。

池は凍っていた。
石灰質は水を浸透しやすく、氷となって流れない水は吸い込まれ、干からびていた。
また、膨張した氷がなだらかな斜面を覆い、スキー場型のスケート場のようにもなっていた。
黄龍1 黄龍3 黄龍2

7キロくらい歩いたろうか、思い描いていた景色が突然現れた。
この広い公園に小さく小さく。
黄龍4 黄龍5 黄龍6
標高が高く酸素もうすい中、3時間も坂道を登り続けた褒美に感じた。



帰り道は森の中を通った。
黄龍7 黄龍8 黄龍9
まるで宮崎駿の「もののけ姫」の舞台みたいだな、と思っているところへ、ロマンが話しかけてきた。
「僕は日本の映画で宮崎駿が好きだよ」
「ここは、モノノケヒメのステージみたいだね」

ロマンは宮崎駿の映画をそうとう観ていた。
日本の政治・経済のことも分かっていた。
日本人の話す英語の特徴も良く知っており、それを理解してくれた。

それどころかロマンは、漢字を正確な書き順で書けた。
日本で使われている漢字をそのまま中国人との筆談で書いてしまった私に、
「その字は中国では、こう書くんだよ」
と教えてくれたりした。

彼は日本語は話せなかったが、中国語はカタコトでも私以上に話せた。

何より彼の感覚は、頭も性格も良く好奇心旺盛で行動力のある日本人、のようだった。



15時、成都から1日1本黄龍の前を通過するバスに、私たちは乗って帰る予定だった。
しかしバスは満席で乗せてもらえなかった。
1時間待っても他の車もこの道を通ることはなかった。

ロマンは言った。
「大丈夫。行きのバスはくにゃくにゃとこの山道を1時間半かけて来たけど、僕たちは直線コースで帰れば良いのだから、1時間半もかからないよ」
実に面白い青年だ。

シーズンオフの山の中。
他にツーリストはいない。
同じコースで甘粛省の蘭州に向かう彼と、この先しばらく行動を共にすることとなった。

■中国*四川省*松藩(ソンパン)~黄龍(ホアロン)*「ロマン①」

2月2日の日記で私は、夢もロマンもぶち壊された、と書いたが、
ロマンと出会った。


松藩は世界自然遺産である「黄龍」へ行く拠点の町なので、きっと相当賑わっているだろうと思っていたが、予想は大きく裏切られた。

そこには中国お得意の、相変わらずどこも似たり寄ったりの古城街があったが、閑散としていた。
だいたい古城街には、ツーリスト相手の店や旅行代理店があるのだが、ここには無かった。
バックパッカーどころか中国人旅行者さえ見当たらない。

私は黄龍へのツアーに参加しようとしていたが、どう考えてもそんなツアーを催しているとは思えない。
仕方なくローカルバスで行こうと、先ほど到着したバスターミナルへ行くと、すでにそこは閉まっていた。

宿の女性は明るく感じの良い人だったので相談すると、翌朝6時半出発の成都行きに乗り、途中で降りろという。
そうすることにした。

翌朝バスの運転手に、黄龍で降ろしてくれるように念を押し、一番前の席で待機していると、白人青年が乗ってきた。
昨日、成都から同じバスに乗ってた白人だ。
このバスに乗り込んでくるということは、目的は2つのうち1つ。
ツアーが無いのであきらめて成都に戻るのか、私と同じく誰かに訊いて黄龍へ行くかだ。
通路を隔てて私の横に座った彼に尋ねてみた。
「どこへ行くんですか?」
昨日は神経質そうに見えたので、あえて話しかけなかったのだが、彼は以外にも気さくに、
「黄龍だよ。隣に座ってもいい?」
と通路を越えて私の隣りに座ってきた。

彼の名前はロマン。
ドイツのベルリン出身で、今は香港の大学で物理学を勉強している27歳。
香港に来てから、たまに1ヶ月位の中国旅行を楽しんでいるという。
彼の英語は非常に分かりやすかった。
英語苦手な私が分かるように、ゆっくりと簡単に話してくれた。
昨日あんなに神経質に見えたのは、きっと彼の身長が193㎝の超痩せ型の体型のせいだろう。

凍てつく山中をバスは走り、1時間半程で黄龍の入り口に着いた。
黄龍までの道1 黄龍までの道2

しかし黄龍公園の入り口は閉まっていた。

■中国*四川省*成都~松藩(ソンパン)「大地震後」

2008年5月。
四川省を大地震が襲ったことは記憶に新しい。
日本でも、当時は日々この事を報道していた。

成都から、世界自然遺産になっている「黄龍」「九寨溝」に行くことにした。
そしてそこへ行くには、震源地であるフェンチャン(日本語ではブンセン)をバスで通る。
他のツーリストの話によると、この辺りはまだ復旧できていない道路もあるという。
道が閉鎖されている恐れもあったが、バスのチケットが買えたので、行けることがわかった。

成都から2時間位はスムーズに進んだ。
というか2時間過ぎたあたりから、新しく綺麗に舗装された道になり、道沿いの家も皆新築だ。
時々大規模なプレハブ家屋群が現れる。
震源地に入った事がわかった。
しかしそれから1時間もすると、綺麗な道路は突然にして悪路へ変わった。
道路には亀裂が入って盛り上がり、片側は崩れ、また、崖からなだれ落ちた土砂が片側を塞いでいる。
ガードレールはグニャグニャに曲がり、木はへし折られている。
道沿いには青いテントがたくさん建てられ、残っている家屋もビニールシートで補修されている。
フェンチャン大地震3 フェンチャン大地震1 フェンチャン大地震2
日本の神戸の大震災後はどうだったのであろうか。
1年後にまだ復旧できない所はあったのだろうか。
この地域の今現在、とても寒い。
早く人々が暖かい生活を送れるように祈った。

■中国*四川省*成都(チャンドゥ)

のんびり過ごしている訳でもないのに、気がつけば、成都に着いて一週間も経ってしまった。
大都会、成都。
都会は時間の流れも速いのか。
イトーヨーカドーや伊勢丹があり、日本にいるような錯覚をしそうな街。

イトーヨーカドー&伊勢丹 伊勢丹の酒売り場 中心部は建設ラッシュ
イトーヨーカドーと伊勢丹は隣合わせにあるのだが(左の写真奥に伊勢丹の看板わかりますか?)、圧倒的イトーヨーカドーの勝利。
日本では、暮れ正月でも、ここまで混むデパートやスーパーを見ないほど混んでいる。
日本を含め世界中のイトーヨーカドーで一番の売り上げを挙げているのが、この成都のイトーヨーカドーなのだそうだ。
伊勢丹は外人に人気があるようで、ワンランク上という感じが敷居の高さを感じる。
伊勢丹酒売り場は日本酒も充実。

街の中心部は再開発の建設ラッシュ。


四川といえば、
四川料理。
パンダ。
そして記憶に新しい、昨年の大地震。


四川料理の超有名料理は、麻婆豆腐なのだとここで知った。
他にも「チンジャオロースー」「ホイコーロー」など日本でもお馴染みの料理もある。
チンジャオは巨大なシシトウ風で、ホロ辛い。
日本ではピーマンで代用しているが、本場ではチンジャオを使う。
このチンジャオだけの炒め物など、癖になる美味しさ。
四川料理は辛い。
しかし、唐辛子の辛さというより、山椒の辛さだ。
山椒大好きな人にはうれしい所だ。
生の山椒でシビレまくれる。
最近自分に気づいたのだが、辛くないと物足りなく感じるようになった。
どこの店の人も「辛くしますか?」と訊いてくれるのだが、初めは恐れて「辛くしないで」と言っていた。
辛くしないでと言っても、ベースが辛いので、そうとう辛いのだ。
最近はどうどうと「辛くしてください」と言っており、さらにテーブルにある辛味調味料を自ら加えたりもしている。


パンダが四川省あたりの出身だとは、私が以前やっていた店のアルバイト娘から、昨年の四川地震後に聞いて初めて知った。
パンダは絶滅危惧種だ。
成都の近くでも、動物園やパンダ基地など、パンダを保護し研究している施設がいくつもある。
朝のパンダ 昼のパンダ パンダの餌の試食
1日中食っちゃ寝してるパンダが、暇をもて余しているおっさんみたいで、ひじょうに人間っぽく可笑しかった。
パンダの人工の餌の試食があったので食べてみた。
カロリーメイトのような、ライ麦パンのような、湿り気の多い健康食品的な感じで、味はまぁまぁ美味しく、朝食で目玉焼きと一緒に出されたら、人間でも普通に食べれると思う。
ちなみに和歌山県の白浜動物園にはたくさんパンダがいて、そのうち1頭のオスパンダが日本からこの施設へ来たと、パンダ保護施設の人が教えてくれた。


パンダはかわいくてとても良いのだが、こちらも捨てておけない。
成都近くで発掘された紀元前2000年以上前の銅の仮面(仮面と言っても大きい)。
三星堆のブロンズ仮面2 三星堆のブロンズ仮面4 三星堆のブロンズ仮面3
これには心持っていかれた。
なんなんだこれは。
縄文の土偶の親戚に違いないと思った。


昨年5月、四川省周辺を襲った大地震では、たくさんの方が亡くなったと日本でも報道された。
私の泊まっている宿の従業員も1人亡くなったのだそうだ。
ここ成都では、かなりの建物に亀裂が入ったものの、被害は少なかったというが、被害の大きかった田舎に行くと、未だ復旧できずにいる地域もあるらしい。
地震直後から中国政府は、地震予報なるものをテレビで流していたそうだ。
次にどこに地震が来るか、しばらく前から分かる技術が中国にはあるらしく、それを指摘されたエリアの人々はパニック状態に陥ったそうだ。
そのうち一部の国民の間で、予測する能力があるのだから、この地震の事も政府は知っていたのに隠していた、と騒ぎになり、地震予報は流さなくなったそうだ。

■中国*四川省*郷城(シャンチェン) 2

郷城(シャンチェン)には、バス乗り換えの目的だけの為にやって来た。
山間の小さな町。

ついにやってしまった!

バスに荷物を置き忘れたまま降りてしまった。

宿をとって、さてくつろごうとした時、気付いた。
あわててロビー兼食堂へ行き、英語を話せる宿の娘に事情を話した。
彼女はやけにのんびり、大丈夫よと言った。

麻生久美子似の彼女を取巻き、数人の男が円になって座っていたが、その中の一人を指し、
[ 大丈夫、彼はそのバスの運転手よ。バスは近くに停車しているわ。] と。
本当にラッキーとしか思えない。あっさりと荷物は戻ってきた。

その運転手が、一緒に鍋を食べようと言ってくれたので、お言葉に甘えることにした。
10人程で円卓に座り、激辛魚鍋を食べながら、中国式の飲み方で酒を飲む。
中国式は、ショットグラスにストレートで酒を注ぎ、誰かが乾杯と言ったら皆一斉に飲む。
うっかり私が自分のペースでグラスに口をつけると、まわりの人もあわてて一斉に乾杯して飲む。
皆、同じ量を飲むのだ。
食べ物がなくなり、誰かがお開きを言うまで続く。
この飲み方は、福建省の客家村で、バイクタクシーの兄ちゃんが円楼に招待してくれた時に覚えた。

皆で楽しく食べては飲んでなのだが、見ていると、皆初対面的なのだ。

そして気付いた。
この人達、私と同じバスに乗ってた乗客達だ。
8時間のうちほとんどが、ガードレールも舗装も無しの険しい山道を運転してきた人を、こうしてねぎらいご馳走しているんだ。
運転手の分はもちろん、私の分も、その内の一人がご馳走してくれた。


この町は、ほとんどの商店はまだ正月休みで休業している。
バスもそうだ。

理糖(リタン)という町に行くバスに乗り換えたかったが、2月10日過ぎまで運休だという。
今は、香格里拉に戻るバスと康定(カンティン)という町に行くバスが、1日1本づつあるだけ。
康定は寄る予定だったので、康定行きのバスチケットを買うことにしたが、あいにく満席で、ようやく今朝、明朝発のチケットを買えた。

景色だけはいいが他に何もないこの町に、思いの外3泊することになった。

宿の美人娘は、家業を手伝っている。
彼女は私と同じくらいのレベルで英語が話せる。
バスに荷物を忘れた時も、チケットを取るのも助けてくれた。
なぜこんな田舎町で英語を話す女の子がいるのかと思ったら、彼女は語学大学の学生で、正月で帰省しているのだと言う。
英語、日本語、仏語、チベット語を勉強しているが、日本語は苦手と言っていた。

この町をどう思うか聞かれたので、これといって何もない町だし、ありきたりに [ いい町だと思う ] と答えると、彼女は [ 私はそう思わない ] と言ってきた。
[ こんな田舎で小さな町、私は嫌だ ] と。
どこの国も一緒だ。
若い時は自分の育った田舎町を嫌いだったりするものだ。

でも、グーグルマップにも載っている宿屋の娘で、大学で語学を学んでいるということは、将来必ずやあなたの人生開けるよ。
狭い町だけど、いろんな所からたくさんの人がやってきて、広い世界の話しを生で聞くことができるよ。
[ 町は嫌いだけど、人々は皆いい人よ ] と彼女が言ったので、
[ それはあなたを見れば分かるよ ] と答えると、彼女は笑っていた。

■中国*四川省*郷城(シャンチェン)

香格里拉で、夢もロマンもブチ壊す事を聞いた。

香格里拉のユースホステルに泊まった2日目、4人の日本人に会った。
2人はその日着いたばかりで、1人は長期そのユースに泊まっており、もう一人はその人の友人で、現地人と結婚し香格里拉に住んでいる女性。
ユースに泊まっているメンバーで鍋を食べに行き、その後在香格里拉女性を紹介され、5人の日本人で一緒に飲んだ。
こんなに大勢の日本人といっぺんに話せるのは、この旅始まって以来初めてだ!

私には、ここ最近疑問に思うことがあった。
大理以降、麗江、香格里拉と立て続けに町には古城エリアがあり、皆、古城の雰囲気が似ているということ。
それぞれの文化に影響し合っているからかと思ってはみたが、香格里拉古城で、それはなにか違う気がした。
香格里拉古城は坂道だらけなのに、ツルツルの石畳。
石畳さえなければ、なんの舗装もしなければ、歩きやすいのに。
こんなに歩きづらい危険な道を昔から使っているなんて、おかしい。

聞かされた話はショックだった。

麗江の古い町並みの古城が世界遺産に登録された後、観光客を集めるために、中国政府はこの古城の建物をすべて壊し、新しく綺麗に作り直したという。
石畳も造りかえ、ブランドニュー麗江にしたというのだ。
どおりで綺麗な町だったよ。
ユネスコは、こんなことして怒らないのか!
大理も香格里拉も、同じ業者に造り替えられたのだそうだ。
だからみな似ているのだと。

香格里拉の場合、そもそもそんなところに城なんて無かったし、だいたいチベット文化には石畳は無いのだと。
そして、その偽古城建設に協力したチベット民族には、多大な恩恵を与えていると。
昨年暴動のあったチベット自治区にはムチ、隣のこのチベットエリアにはアメを、ワザとやっているそうだ。
在香格里拉女性は [ だからこの辺りのチベット人は偽チベット人よ ] と、自分の旦那がそうであるにもかかわらず、笑いながら親しみを込めながらだが、そう言っていた。
このようなチベット自治区から外された田舎では、長いものに巻かれないと生きていけないのかもしれない。

そして、雲南省は民族衣装を着た人が多いのだが、これもアテにならないという。
漢族が少数民族の衣装を着て、観光地をウロウロするという仕事があるという。
そういえば、北京オリンピックの開会式で似たような事があり、日本じゃ話題になったよな。

なんだよもうっ!
すっかり騙されちゃったよ。

ただ、親切で人なつっこい人々の気持ちは作られたものではないから、それがかなりの救い。

リサ婆

現在無職。日本在住。
バーのママ歴
中野で4年
歌舞伎町で12年
海外旅行歴
人生の中で延べ約4年
約50ヶ国
春からカレー屋をやるべく、現在奮闘中。

!注意!お願い!
本文中、イスラム教を国教とした国の事を「イスラム国」と書いたのがたくさん出てきますが、それを書いた時点ではまだイスラム国(ダーイッシュ、ISIS)が無かったため、そのような表記になっております。
ですので本文中にある「イスラム国」は、ISISとは関係なく「イスラム教の世界」「イスラム教を国教とする国」というニュアンスでお読みください。

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