■*中国

■中国*ウイグル自治区*タシュクルガン(3)

中国で、中央アジアの日記をアップする予定だったけど、明日からパキスタンに行くので、どうやらそれはできないようだ。

カザフスタンからカシュガルまで、怒涛の再会続きで、アルマタでは、キルギスで一緒にホームステイしていたメンバーと偶然会ったり、
カシュガルでは、2月に一緒に旅したドイツ人青年ロマンと再会したり、
2ヶ月ぶりに戻ってきたカシュガルのウイグル人エリアは、すでに区画整理のための破壊がなされて、宿の辺りはすっかり変貌を遂げていたりと、
面白いことが立て続けにあったので、是非ともブログにも残しておきたいのだが、旅の速度にパソコンの速度がとても追いつかない。

パソコンを持って来なかったがために、すべての文章をネットカフェで書き込まねばならず、また、ajaxという日本語変換webを使った文章は、通信速度の遅いパソコンからだと非常に時間がかかる。

今、唯一の後悔は、リアルタイムで日記を書こうと、日本にいる時に考えたのに、日本からパソコンを持ってこなかったこと。

自分のパソコンに書き溜めておいて、ネットカフェでアップするスタイルだったら、とても楽だったのに・・・
日記を書いてる旅行者は、何人問わず通常このスタイル。

でもまさか、ネットカフェがこんなにも通信速度が遅いとは、日本にいる時は気づかなかったからね。
そして、日本にいるときは決して使うことの無かったajaxが、通信速度に左右されることも最近わかったし。
他の旅行者に聞くと、かなり通信速度遅い中国なのに、アジア圏では、韓国、そして日本に次ぐ速さだそうだ。

中国のネットカフェでは、CDやDVDはまったく使えず、写真のバックアップをDVDに取ろうと、メモリースティックを持ってきていないのも誤算。
写真のバックアップが取れない。


でも、自分のパソコンが壊れないようにとか、盗まれないようにとか、心配することがないので、まぁどっちもどっち。


パキスタンのネットカフェはどうなっていることやら。


■中国*ウイグル自治区*タシュクルガン(2)

さすが辺境タシュクルガン。

今、中国の最西端の町、タシュクルガンにいるのだけど、中国で初めて、私のブログページに規制がかかった。

タシュクルガンに1件しかないネットカフェ内で、ようやく日本語可能なパソコンを見つけたのに、私のページに繋げない。

店の人に聞いたら、公安が規制をかけているから見れないという。

中国からは、日本のwebページやyoutubeが見れなかったり、yahooから検索できないことはよくある。
以前、「チベット」で検索をかけたら、ほとんどのページが見れなかった。
しかし、自分のページが見れないのは初めて。
グーグルマップも見れない。

他の日本語ページは見れる。
だから、自分のページの管理画面には接続できる(笑)

しかし、店にusbを使わせてもらえず、写真がアップできない。



タシュクルガンはすぐそばに、タジキスタンとの国境と、アフガニスタンとの国境と、パキスタンとの国境がある。

つい数年前まで、この辺りを観光するには、中国政府に許可証をもらわなければならなかった。
今では、多くの外国人ツーリストが許可なくここに来れるようになったが、中国側からここに来るまでにも、今だ厳重なパスポートチェックがある。


標高約3200m。
日中晴れていれば暑いが、日が陰ると寒い。
雪山に囲まれていて、夜はそうとう冷え込む。

そしてここは、タジク人(タジキスタンに多く住む民族)の住む地域で、ウイグル族とは顔も衣装も違い、私には新鮮な感じ。

女性は、眉毛が左右つながっている人が美人。
中央アジアやウイグルで本当によく見かけるメイク、眉墨で左右の眉をつなげる。
子供の頃からそうしている。
しかし、タジク人は、メイク無しでも実際眉毛がつながっている女性が多い。
そして本当に彼女達は美人ぞろい。

日本人から見たら「あらら」と思うつながり眉なのに、美人に見えるということは、正真正銘の美人だと思う。


■中国*ウイグル自治区*タシュクルガン(1)

ひらがな と カタカナ のみ にゅうりょく かのう。
かんじ は もじバケ。

Ajax しよう ふかのう。

ちゅうごく と パキスタン の こっきょうの ま ちタシュクルガン(ちゅうごく がわ)より。



辿・

■中国*ウイグル自治区*カシュガル [キルギスへ]

パキスタンとの国境が、5月にならないと開かないので、ビザなしで行ける隣国キルギスにそれまでの間行くことにした。
ちょうどキルギスには、この旅で知り合った旅友も居ることが分かった。

そして風変わりなオーストリア人夫婦が、私の泊まっている宿にやって来た。
旦那は、日本の東京大学の大学院で4年間、気象学を勉強していて、奥さんは国立音大で雅楽を専攻していた。
しかも日本政府から奨学金をもらっていたので、物価の高い日本でも、たくさんの貯金はできなかったが不自由はしなかったという。
日本から船で中国にやって来て、陸路でオーストリアに帰る途中だという。

二人とも日本語が達者だ。
旦那は、デイブスペクターのようなギャグを言ったり、私といる時は夫婦間でも日本語で話していて、それが夫婦漫才のようだ。

彼らもキルギスへ行くというので、一緒に車をチャーターして行くことになった。
本来は、カシュガルからキルギスのオシュまで、週1本出ている国際バスで行けるのだが、3人で車をチャーターすれば、それより安く行けることが分かった。
バスで先にキルギスに行った旅友の話しによると、バスは移動18時間で、ご飯休憩どころかトイレ休憩が1回だけしかなかったという。
中国のバス移動ではよくある話だが、快適そうでしかも安いタクシーチャーターを選んだ。

キルギスとの国境に着いたら、あとはヒッチハイクという手でオシュに向かうしかないのだが、道連れが2人いれば危険度は大幅に減る。

そして、地球上で最も有名なガイドブック[ロンリープラネット]がやっている有料ガイドブックダウンロードで、キルギスのガイドブックを9ドルで購入し、宿でプリントしてもらった。
手作り製本のロンリープラネット


明日、いよいよ2ヶ国目のキルギスに行く。

■中国*ウイグル自治区*カシュガル [交差点]

シルクロードの街、カシュガルは人間の交差点。
私の泊まっている宿にも色々な人がいる。
中国人、香港人、フランス人、オーストリア人、イスラエル人、メキシコ人、ニュージーランド人。
先日話題になったのは、[ゼスチャー]。

世界で言葉が通じなくても、ゼスチャーでなんとかなる場合もあるが、かえって誤解を生むこともある。
その確認を皆でしてみた。

ちなみに中国の1から10までの数の指での表し方はこの通り。
6から先は、日本人が普通表すやり方では通じない。
中国の数の表わし方


しかし、ヨーロッパ人は、1は親指を立て、2はさらに人指し指をたて、3はさらに中指を立て、4は小指だけ折るので難しい、、、、
そこで笑い話し。
中国に来て間もないヨーロッパ人が買い物で、2つください、と指で表すと、この国では8つ出てきてしまう。

メキシコは、またヨーロッパとも日本とも中国とも違った数え方だった。


[はい]と[いいえ]は、たまたまここに居るメンバーは共通のゼスチャーだったが、インド人はこれが違う。
他にもこれが違った国の体験談を聞く。


当然と思って使っているゼスチャーが世界で違うのは、面倒だが面白い。

■中国*ウイグル自治区*カシュガル [行き止まり]

中国の西の果てカシュガルで、私はこれからの旅程を考えた。

いわばここは中国の西の行き止まり。
これからも中国を旅するなら、南方のチベット自治区以外に行く以外はUターンすることになる。

チベットの正月も終わり、中国政府も外国人のチベット訪問を1ヶ月前より緩やかにするだろうとの情報を得ていたので、ここカシュガルからチベット自治区行きを試みたが無理だった。

運が良ければ中国の真ん中の蘭州から、チベット自治区へ行けることはわかっている。
しかし運だけを信じて、実際行けるかどうかも分からず、また中国の1/2を戻るのに、公安と私服警察だらけで観光もインターネットもできないと聞くチベット自治区に、そこまで執着する理由もない。

2月に四川省のチベットエリアで公安に捕まる前に、チベット自治区内では外国人は見ることのできない鳥葬場も見れたし、チベット人の生活も垣間見れたので、今回はチベットを見送ることにした。
本来のプランでは、チベットからネパール経由でインドに抜ける予定だったので、根本的にプランを見直すことにした。


この中国西側は沢山の国と国境を接している。
インド、パキスタン、アフガニスタン、タジキスタン、キルギスタン、カザフスタン、ロシア、モンゴル。
そしてそれらの国に入るのには、北京で取らねばならないビザが必要だ。
唯一、キルギスタンを除いて。

と、ステキな情報を得た。

パキスタンビザが、なにも北京へ行かずとも国境で取れるようになったという。
パキスタンと中国の国境は桃源郷といわれている。
外国人が通過できない時もあったそうだが、ここ最近は外国人も通れる。
しかも問題のビザが去年の秋からは国境で取れていた(今年はまだ雪で国境が開いてないので疑問は残るが)。
こんなチャンスめったにない。
14年前から憧れだった中パ印の複雑な国境クンジュラブ峠を通れる!


しかしこの国境は、高い山の峠が雪で覆われているため、5月にならないと開かないのだった。




(*)ビザには入国期限やら有効期限があり、初めから全てのビザを取っても長旅では意味がありません。
たいがいはビザ取得後数日以内の入国を求められ、国によっては3ヵ月から6ヵ月の有効期限がありますが、時間が経ってからの入国は、そのぶんだけ滞在日数も大きく削られます。
通常燐国の首都にある、行きたい国の大使館や領事館で取りますが、政治的理由で取れない場合も多々あります。
昨日は取れても今日は取れない、ってことも珍しくないです。

■中国*ウイグル自治区*カシュガル [歴史]

アクスから恐ろしいほど狭い座席のバスで8時間ほど揺られてカシュガルに着いた。
ありえない狭さの座席


夜9時に着いたが、まだ街は明るかった。
そりゃそうだ、中国では北京時間を使っているので、中国の西の端にあるカシュガルは、夜10時にならないと暗くならない。
だからウイグルの人々は、北京時間から2時間遅れた新疆ウイグル時間を、非公式ではあるが使っている。

街に到着した瞬間からこのカシュガルに魅了された。
私が訪れたウイグルのどの街よりもイスラーム色が濃厚だ。
街の真ん中 カシュガルの街なか ざくろ屋の気のいい兄さん達
細い道で カシュガルの街なか2 泊まっている宿


街の中心にある最も有名なモスクからは、アザーンが聞こえる。
イスラームのお祈り時間になるとモスクのスピーカーから響きわたるアザーン。
私はこれが大好きだ。
地域によって、歌のようだったり、説教のようだったり、抑揚が違うのも面白い。
これを聴くと、イスラム圏に居るんだとあらためて実感できる。
中国で初めてアザーンを聴いた。
歌的ではなく説教的だった。
宗教を悪だと教えている中国で、まさか聴けると思わなかった。
店屋の人も店の前でお祈り。
モスク横の商店街 モスクから溢れる人 お祈り時間のモスク正面


以前インドを旅した時、旅の大先輩からイスラームの挨拶を教わっていた。
これはインドでも重宝したので、今回も使ってみた。
[ァサラマレィコン]
これはとても効果を発揮したようだ。
数百年前の民家にいまだ人が住むエリアで、英語を話すガイドが、[ァサラマレィコン]を知っているなら、ウイグルのありがとう[ラフマット]とさようなら[ホーッシュ]も知っておくといいよと教えてくれた。

そしてこの[ラフマット]と[ホーッシュ]には、強い効果があった。
これを使うと、にっこりどころか大笑いになって、[今ラフマットって言ったよねぇ!] と周りの人も巻き込んで皆笑顔になる。
私も嬉しくなる。

しかし悲しい事も、先程のガイドから聞いた。
カシュガルの街でも、他の中国の街のように、大々的な建設工事が行われている。
街で一番大きな公園跡にはマンションが立つらしく、現場を囲った壁に掲げられた写真はどこの街にもある中華風建築だった。
案内してもらった異国情緒たっぷりの古いエリアも、あと4~5年で壊されるそうだ。
住人のため、耐震の建物にするというのが理由らしいが、ここの住人はだれもそんな事は望んでいないという。
古い町1 古い町2 中華マンション建設予定の公園跡


そういえば、全く同じ話しを四川省で聞いた。
昨年地震のあった四川省の地域は、その多くがチベット人の住むエリアだ。
だから耐震を理由に、地震の被害がなかった地域でも、チベットの建物をことごとく壊して、新しいビルを建てているのだと。
しかしチベット人はそんな事は望んでいないと。

しかし、ここへ来るまで沢山の遺跡を見てきた。
シルクロードの仏教遺跡の仏像や仏画は顔がないものが多い。
イスラームが西からやってきて、破壊したのだ。
そしてシルクロードは仏教からイスラームへと代わっていった。
そしてこれからは、中国共産的になっていくんだなと、歴史が移り変わるのを直接目撃し、かなり複雑な心境になった。

■中国*ウイグル自治区*アクス

アクスはすっかり新しい街だった。
特にみどころもなく、イスラーム色も薄く、ホテルも綺麗だが高かった。
中国の別の再開発され済みの街とたいして変わりがなかった。
夕御飯を食べたウイグル料理屋の人はとても感じが良く、彼女達をとても好きになったが、着いた翌朝この街を出ることにした。
アクスの街 店の人が皆好感度バツグンの店。 ホテルの朝食バイキング

■中国*ウイグル自治区* クチャ

トルファンからクチャへは、およそ14時間の鉄道の旅を選んだ。
私が今まで旅で見てきた鉄道からの車窓の全ての中で、一番美しかった。
持ち込んでいたパンの袋が、雲南や四川で標高3000mを越えた時と同じ位膨れていたので、かなりの高さの標高を走っていたのだと思う。
トルファンから列車でクチャへ 汚いガラスの外は綺麗な景色



クチャでは毎週金曜日にバザールが開かれるというので、やって来た。
バザールでは、野菜、肉、服、靴、生きた鳥、植木、その他もろもろ何でも売っていた。
たくさんのウイグル人が集まり、すれ違う人に[それ、いくらだった?]と訊ねていたり、皆大きな買い物荷物を持っていた。
ロバのタクシーはひっきりなしに往来しているし、そんなゴチャゴチャと狭い中、車に高く積み過ぎた荷物が路上で崩れたり、公安と揉めている人がいたり、本当に賑やか。
しばらくバザールをブラブラした。
クチャの市場1 クチャの市場2 クチャの市場3


バザールを出て15分も歩くと、あの喧騒が嘘のように静かな住宅街になった。
ナン屋のおじさんが、おいでおいでをするので入って見ると、絵に描いたような空間でナンを焼いていた。
初めて食べたウイグルのナンは、まるでクロワッサンのようにしっとりした生地が層になっていて、ほんのり甘く、あっという間に直径20cmを食べてしまえる美味しいナンだった。
残念ながら、このタイプのナンは珍しいようで、他でお目にかかることができない。
もっともポピュラーなナン 映画のよう ポピュラーなナン
おじさんが焼いているのは直径40cm程のポピュラーなナン。
公房の真ん中に置かれているのは、クロワッサンのようなナン。
ポピュラーなナンはその後、アクスへ行くまで3日かけて食べた。

■中国*ウイグル自治区*トルファン

中国にはイスラム教徒はたくさんいる。
イスラム教徒を中国では回族と表記する。
初めてカメラをスラれたのは回族自治州だったし、蘭州の名物料理であり私も大好きな [ 牛肉面 ] は回族の料理だし、中国中央部では、中華風な建築のモスクもよく目にする。

しかしここウイグルは、中国の他のエリアの回族とは全く違っていた。
彼らは回族ではない。
ウイグル族だ。
言葉も漢語を使う回族とは違い、アラビアチックな文字のウイグル語を話す。
モスクも私がイメージするタマネギ屋根のモスク。
そして明らかに人々の顔が違う。
ペルシャな感じとでも言いましょうか、とてもエキゾチック。
顔全部を毛糸で編んだショールで覆っている年配の女性も多い。
路線バスの運転手や乗客とは、もう筆談はできない。


敦煌から寝台バスで、ウイグルのトルファンに着いた。
トルファン。
その響きが素敵。
それだけの理由でトルファンに行こうと思った。

寝台バスの中で、私の並びにいた一人旅の中国人女性が、今まで見かけた中国人とは明らかに違う様子だった。
私は、景色だけを楽しみに過酷なバスの旅を選んでいるのに、たいがいの中国人女性はカーテンを閉めて寝てしまう。
しかしその女性は、中途半端に開いたカーテンを大きく開き、起きてずっと外を眺めている。
ラッキー。反対側の景色も楽しめる!
自分に日が当たっているのに、それでもカーテンを閉めない。
こんな中国人は初めて見た。
いやいや違う、スタイルは完全に中国人だが、間違いない、彼女は中国人ではない!

明け方、まだ真暗なところを[トルファンに着いたよ]と起こされて、先のウルムチまで行くバスを私は降りた。
一本道しかない、とても町とは思えない所だった。
と、先程の女性も降りてきた。
どうやらここで降りるのは2人だけのようだ。
バスの中で彼女の行動を見て、私は半確信を持っていたので話しかけた。
[日本人ですか?]
真暗で街灯もなく、ここがどこなのかも分からないが、バスから降りる客を待っていたタクシーで、日本人女性トモコさんと一緒にとりあえず宿を探すことになった。

トルファンで安宿を探すのは難しかった。
中国では外国人が泊まれるのは、比較的高級なホテルとユースホステルくらいしか無いはずなのだが、他の街ではこれが緩やかな所が多く、安宿を探すのには苦労しない。
北京ではこれが非常に厳格に守られていたが、ホテルの数が格段に多く、苦労もしなかったが、トルファンは北京よりはるかに小さな街、ホテルの絶対数が北京とは違う。
そしてこれが厳格に守られていた。。

タクシーの運転手は、どのホテルが外国人を泊めて良いのか知るはずもなく、結局3時間以上は走り回った。
街はすっかり明るくなっていた。

途中、ラチあかないと気付いた運転手は、他の客を乗せて目的地に運びだし、私達は後回しとなった。
おかげで、生まれて初めて油田を見ることができた。
私が以前保有していた中国株[ペトロチャイナ]の油田だった。
油田に通勤で行く客には朝ご飯までご馳走になり、ドライブ気分で私とトモコさんは、観光を楽しんだ。
荒野の油田1 荒野の油田2 荒野の油田3

結局、初めに運転手が連れていってくれたバカ高いホテルに、私達は共同で一部屋取ることにしたが、走り回っている3時間の間に、このホテルは大きく値下げをしていて、100元(1500円)でツインルームが取れた。
タクシーには非常に申し訳ないと思ったが、初めの約束通り2人で20元を払った。

トモコさんとの3日間はとても楽しかった。
見どころの観光地はみな郊外にあり、シーズンオフの3月にツアーは無く、車をチャーターして行く他ない。
一人でこの費用を負担し、一人で感動するのは、私は正直つらくなっていた。

トモコさんはツワモノで、オーストラリアから世界一周を始め、中国では中国語が必須な事に気付き、北京で3カ月中国語を勉強してから旅をしていた。
この旅で初めて会った日本人の一人旅の女性は、非常に興味深い人だった。

先程のタクシーの運転手もそうだったが、ウイグル人は特に親切でおだやかだ。
見た目は怖い感じでも、話しかけると急に優しい笑顔に変わる。
そのギャップが私には嬉しい。
チャーターした車の運転手アリムも、口数は少ないがとても信用できる人だと感じた。

アリムは中国語が分かるトモコさんに、中国語でウイグルやトルファンの事を話してくれた。
観光名所はもちろん、美味しいレストランや屋台街、市場など、私達だけでは知り得ない、トルファンの生活の匂いのする場所へも案内してくれ、おまけにご馳走までしてくれた。
ウイグルのポピュラーな麺[ラグメン]と羊の串焼き。 郊外のバザール入り口、水色の服トモコ、左の紺のシャツはアリム。 トルファン郊外

吐峪溝
吐峪溝の道 吐峪溝の村 吐峪溝の墓地

交河遺跡
1500年前の交河遺跡 割れた食器が無造作に散らばっている。 遺跡の横は崖

2日間車をチャーターし、思った以上にトルファンを充分に楽しみ、しかし今は名物のブドウが枯れ草となっているので、次回はブドウがたわわに実る夏にまた来ようと心から思った。
トルファンのメインストリートのブドウ棚 ブドウ畑


しかしそんな素敵なトルファンを、私達2人で歩いていた時、衝撃的な事件に出会った。
トモコさんがひったくりにあった。
屋台の人と私達が話していると、一人の女性が割り込んできたので、てっきり店の関係者と思いきや、いきなりトモコさんが左手から下げていた袋をひったくり、全速力で人ごみに消えていった。
何かの冗談かと思った。
それを見ていた周りの人は何か私達に言っていたが、この街ではこういうことは珍しくはない様子だった。
幸い、その袋には、先程買ったサモサしか入っていなかった。
だからトモコさんも騒がず、私達はその場を後にした。

ひったくりによる被害はまったくと言っていいほど無かったが、この先長く旅を続ける私達には良い教訓となった。

そしてトモコさんはカシュガルへ。
私はクチャへと向かった。



■中国*[万里の長城]

数日前に嘉峪関で万里の長城の終点を見たと思ったら、更に西にある敦煌に、これこそ本当の終点という場所があった。
こちらは明代の嘉峪関よりも古く、漢代のものだという。
二つの関所が朽果てて残っていた。
これが本当の万里の長城終点の玉門関 陽関

本当に万里の長城は長い。
長い長城には、関所がいくつかある。

そして思う。
中国は今でも、壁とか柵で仕切ることが大好きだ。
入り口も出口も関所に集中させる。
今もそのような街の造りは、長い歴史からきているのだろうと思った。

道路の中央分離帯も、人が越えられない高さで長く続く。
道路の反対側に目的の物を発見しても、その間には果てしなく長い分離帯が横たわっている。
目視では切れ目は発見できない。
目の前に目標があるのに、たどり着けない。
向う側に見えている物にようやくたどり着いても、長い壁で囲ってあり、どちらに行けば入り口なのかはもう運まかせ。
とにかく歩く。
実に体力が必要。
今は車やバイクに代わったが、ひと昔前に皆自転車に乗っていたのは納得できる。

北京で私は、天安門広場のすぐ前に泊まっていたが、いったん広場とは反対方向に歩き、道路を渡り、地下歩道を通ってから地上に上り、すこし歩いてまた地下歩道を通りボディーチェックを受けて地上に出ないと広場には行けない、というとんでもなく遠廻りがとても面倒だった。
近道しようにも、ガードレールが高くて越えられない。
ボディーチェックのためそこまで遠廻りさせるのなら、徹底してすればいいのに、私の他にも素通りしている人は何人もいた。

関所はどこの国にもあったとしても、こんなに長い壁で仕切るなんて、大昔からこの国のエラい人は長い壁が好きなのだ、きっと。


砂漠の柵
砂漠にまで柵を造ってるところも中国らしいと思った。

■中国*甘粛省*敦煌(トンファン)

テレビでシルクロード特集を観ると、だいたい西安と敦煌はセットで紹介されているので、中国に来るまで、西安と敦煌は違うと知らなかった。


敦煌はズラリと彫られた石窟 [ 莫高窟 ] が有名。
石窟の中の壁には仏画が描かれており、仏像を安置している窟もある。
すべての窟には扉がつけられ鍵がかかり、勝手に見ることはできない。
岩壁はきれいに整備され、パッと見は、ただのアパートのよう。
莫高窟1 莫高窟2 莫高窟3

ここは今まで行った有名観光地の中で、もっとも入場料がお得だった。
100元(1500円)で、日本語のガイドも付く。
中国の観光地の入場料は、他の物価に対してそうとう高い。
西安の兵馬俑は、65元と表示しといて90元取られた。
そしてオプションの日本語ガイド費用は最低100元、高いと300元はする。
それが、ここ敦煌の莫高窟では、入場料80元ガイド20元。
外国人は必ずガイドをつけなくてはならないが、日本語や英語を選べる。
私はスンナリ中国人料金で入場させられそうになったが、ここはあえて自主的に日本人だと主張。
20元多く払って日本語ガイドを付けてもらった。
そのガイドは、すでに日本人家族3人に予約されていたので、その人達と一緒に廻った。
お祖父様と20代の孫2人。
付ききりの別の日本語ガイドを伴っていて、私が一人であることを不思議かつ珍しがっていた。
しかし、家族だけでガイドを伴い旅行する人を、私も珍しいと思った。
莫高窟では, 日本語ガイドのお蔭で一通り理解できた。


敦煌の南には砂漠が広がっている。
生まれて初めて砂漠を見た。
鳴沙山 鳴沙山の砂 鳴沙山の砂のアップ


敦煌もまた、急ピッチで再開発中だった。
町の近くに鉄道の駅が開設され、町の中心部は大規模な工事中で、中国お得意の、どこも同じ造りで個性のない [ 古城 ] 風にしている真っ最中だった。
真ん中の写真の [ 折 ] という字は、まもなく取り壊しを意味している。
敦煌の夜 庶民的な一画 個性のない町造り中

私の訪れた街は、どこもかしこも大規模工事中だった。
そしてどこもかしこも似たような造りにしている。
雲南省の麗江や大理の古城 ( 最近造られているので新城と言いたい ) の大型パターン。
おそらく漢族の好きなパターンなのだろう。
続けてたくさんの街を訪れているので、もうお腹いっぱい状態。
いや、それを通り越してかなり胸焼けしている。
日本でも、東京も大阪も札幌も際立った違いはないから、よそ様のお国のことは言えた義理ではないのだが。

■中国*甘粛省*嘉峪関(シャーユークワン)

ここ嘉峪関には、万里の長城の西の終点があると聞いたのでやって来た。
北京で観た万里の長城が、快速電車でも30時間以上かかるここまでつながっていたとは恐れ入る。
嘉峪関の長城1 嘉峪関の長城2 嘉峪関の長城3
秦代ではなく、それより新しい明代に造られた長城。
観光客が誰もおらず静か。

そして長城は、嘉峪関という関所から、すでに朽ち果てた姿となった物見台で終わっている。
嘉峪関から見える発電所と工場群が、過去と現在の時間枠を無視しているようで印象的だった。
嘉峪関 朽ち果てた物見台 嘉峪関からの風景

朽ちた物見台の脇にはこんな景色が広がっている。
物見台の脇1 物見台の脇2 物見台の脇3

この谷が長城の役目をしていたのだね。
そこには昔の様子を再現したセットが造られていた。
物見台の脇4 物見台の脇5 物見台の脇6

左の写真の右上の岸壁に掘られた、物見台と景色を物見する大きな展望台が、とても小さく感じる。

中国は本当にダダッ広い。

■中国*陝西省*西安(シーアン)[ 街なか ]

中国は、書くという事に関しての達人が多い。
北京で見かけた爺様は、巨大な筆で水を墨代わりに、広場の地面に達筆な文章を書いていた。
土産物屋では、米に筆で名前を書いてくれる。

そして西安の中心地で見かけた、手のない書家。
手のない書家
恐ろしく美しい文字を小さく書き綴っていた。
私はただの乞食にはお金をあげない。
私を感動させる人は別だ。
この人は乞食というより書家だった。
感動料として、中国で初めて物乞いにお金をあげた。

大雁塔
西安はシルクロードの起点の街。
ここから三蔵法師も旅立った。
テレビで西遊記をやっているのが、これがチープな作りであるが故か、非常にわかり易く面白い。
どのチャンネルでどの時間だかわからず、まだ3回ほどしか観ていないが、1回完結のドラマで、また会えることを楽しみにしている。
三蔵法師の像が建つ大雁塔の前の広場では、子供も大人も凧揚げに興じていた。

西安の路線バス
中国のバスはだいたいがオンボロ。
このバスもフロントガラスがかなりヤラレていた。

■中国*陝西省*西安(シーアン)[ 兵馬俑 ]

西安で楽しみにしていた一つ兵馬俑。
テレビで観るより、その規模の大きさに驚いた。
圧巻。

秦始皇帝の墓の近くにあり、それを守っていると言われている。
1974年、井戸を掘っていた農民によって偶然発見されたのだが、こんなものが見つかるなんて、当時はそりゃ驚いたろうな。
兵馬俑1兵馬俑2兵馬俑3

人形の身長は2mくらいだが、私はこれはおそらく実物大だと思う。
北京では特に感じたが、中国には身長の高い人が多い。
もしかしたら地域の問題かもしれないが、北京の地下鉄の乗客は、男性の半分が身長175cm以上を超えている。
更にそのまた半分は185cm以上あると思われる。
広い中国で気付かなかったが、狭い地下鉄に立っているとよくわかる。
軍人は間違いなく180cm以上だ。
だから兵馬俑の人形は、当時の軍人たちの実物大に感じる。


新人の軍人達が大挙して兵馬俑を見学に来ていた。
2200年前の軍人を2200年後の軍人が見学しているのは面白かった。
兵馬俑5 兵馬俑4

それにしてもこんなもが現代になって発見されるなんて、壮大なロマンを感じる。

■中国*[無用なシルバーシート]

中国の路線バスにはシルバーシートが設けられている。
しかし、これこそ本当にこの国では必要ない。

なぜなら若者は、老人や妊婦や子連れの人が乗ってきた瞬間、早い者勝ちであるかのように、自分の席を開けてそこに誘導する。
町の階段でも、老人の手を取って一緒に上り下りしている。

これには正直驚いたし、感動した。
そして、日本もこれは見習うべきだと思う。

日本なら多くの人が、電車やバスで、自分の前にシルバーの方が立ってから譲ると思うし、寝たふりの人も多い。
老人が歩道橋など上っていても、今まで私は手を貸したことがなかった。

本当にすばらしい!
私が日本に帰ったら、さっそくこれは実践したい。

■中国

今まで思い込んでいたことが、実は違ったということがよくある。
3/17に、売ると買うが同じ言葉と書いたが、実は違うことが判明。
ごめんなさい。
こうして中国語を少しづつは覚えていくのだけど、少しづつではどうにもならない。
なぜなら、中国人は実によく人に話しかけるからだ。

3/15の日記でも書いたように、中国の街中の表示はまったく信用ならない。
長距離バスの時刻表やら運賃表、
観光地の入場料、
博物館や美術館の営業日、
赤信号や青信号、
ホテルフロントの価格表 (これは良い、実際は表示よりかなり安い)
などなど、表示の真下で違うことが行われている。

でも、中国人はおそらく皆それを知っている。
だから近くの人に訊くのだ。
だからしょっちゅう私も話しかけられる。
よそ者の多い観光地で、それは顕著だ。

私もかろうじて、[これはどこにありますか?] [ここに行きたいです] などは言えるようになったのだが、皆親切に教えてくれる。

中国人は、知らない人から話しかけられるのは当たり前のようで、電車やバスの中でも、初対面と思しき人達同士でよく話しが始まる。
とても面白そうだ。
私も話しかけられ、[あなたの言ってることが分かりません]と言えば、たいがい[どこの人?]と聴かれる。
日本人とわかると、ゆっくりはっきり話してくれるのだが、残念なことにそれでも理解不能。
たまには [中国語を話せないなんて君はバカか] らしき事を言われもするが、そんなことは非常に稀で、そこら辺にいる人達は本当に親切だ。

そして好奇心旺盛、観察もよくしている。
[なぜ今、こういうアクションをしたの?] [これは何?] など、私のやっていることや持ち物をよく見ている。
カメラも盗られるハズ。
観察されていたのだ。

中国では、中国語を話せればどんなに楽しいことかと思う。
私こそこの中国を観察して、疑問に思うことばかりだ。
それをすぐに隣の人に訊けたら、どんなに面白いだろう。
そしてどんなに旅が楽になるだろう。

NHKで福原愛ちゃんに中国語習っとけばよかった。

■中国*陝西省*西安(シーアン)

西安といえば、シルクロードの起点の街。
今回の旅で、最も楽しみにしていた街の一つである。

北京から夜行列車に乗り、そして中国の夜行列車は実に快適で安く、大きく分けて5つのランクがあるが、上から2つ目の、硬いベッドのお気に入りのクラスで、気分良く西安にやって来た。
古い城壁が今もなお残っている、中国で唯一の都市の西安。

早朝に到着したので、宿をとってすぐに街中の様子を伺いにくりだした。
そして、あろうことか、またしてもカメラをスラれてしまった。

銀川で日本からもってきたペンタックスの最新型をスラれ、その後の写真は携帯電話のカメラで撮っていた。
モンゴル自治区や北京の日記の写真は携帯でのものだ。

北京でオリンパスの旧型を購入し、ようやく使い勝手に慣れたところだった。
北京は本当に面白いシーンが数々あったので、慣れるためにもたくさん写真をとっていた。
新しいカメラ購入後は意識的にカメラをカバンに仕舞うようにしていた、が、西安でヤラれた。

しかたない、また新しく買った。
今度はバネ式ストラップも購入。
カバンとカメラを繋ぎ、仕舞う場所も変えた。

前回の北京での購入の際もそうだったが、従業員に試し撮りをさせてと言うと、私ではなく従業員が撮って、それを再生画面で見せる。
使い勝手は私が決めることだと思うのだが、従業員は決まって[とてもいい使い心地です]と言う。
ギャグみたいなやり取りなのだ。
しかし、大金をはたく大買物である。
[ああ、そうですか。使い心地はいいのですね]とは言えない。
強引に試し撮りをさせてもらう。
そういえば中国では、[売る]と[買う]は同じ言葉だ。
だから、その辺の感覚が違うのだろう。
売ると買うは違う言葉と判明。(3/18)

2回もスリにあい、大切なデータと高価なカメラを失い、この先無事にやっていけるのか?!と前回以上に自信を無くしたが、更なる対策をもって、気も張るように心がけた。

カメラ購入で1ヶ月分の旅行費を使い、今まで1元5元(15円75円)と節約していたのがアホ臭くなり、やや浪費ぎみなこの数日である。

■中国*北京(ベイジン)②「地図」

天安門1 万里の長城 鳥の巣
北京いえば、私のイメージはこの3つ。
天安門、万里の長城、オリンピック。

北京はつまらないと多くの人から聞いていたので、行く予定はなかった。
しかし、この国の首都を見ないことには中国を語れないなと、中国の地理的ド真ん中の蘭州で思い、ガイドブックも持たずに北京に行くことにした。
今までガイドブックには載っていない町には数々行ったが、こんな大都市に予備知識ほとんどなく行くのは、この旅では初めてだ。
一応グーグルマップで地理だけ頭に入れたが、これが碁盤目の街なので非常に覚えやすい。
北京駅の近くに天安門があり、天安門の向かいが天安門広場だ。
この辺りがおそらく中心地だろうから、ここを目指せば宿も食べ物もなんとかなりそうに思えたので、街の中心からかなり離れたバス停に到着したが、とりあえずバス停で北京地図を購入し、北京駅を目指した。
そして思った通り宿も食べ物もなんとかなった。

上海が六本木なら、北京は新宿といった感じ。
昨年訪れた上海に比べ、なんとなく垢抜けない。

この3ヶ月間中国を旅してきて、今まで中国で感じたこと気づいたことが、この北京には凝縮していた。

オリンピックが終わった後もなお、北京は建設ラッシュだ。
破壊と建設。
これは中国に来てから、どの街でも感じたこと。

胡同(フートン)という昔ながらの中国式の家で庶民が暮らすエリアはどんどん壊され、マンションやホテルが建てられている。
こういうエリアは住所自体が○○胡同なのだが、高級ホテルが立ち並ぶ通りを歩いると、ピカピカのペニンシュラホテルの入り口の住所板に「金魚胡同」などと記してあり、胡同の面影はわずか住所だけだ。
ただこの3ヶ月の経験上、この高級ホテルエリアの住所は近いうちに変更される気がする。

中国の道や住所や建物の名前は1年前と違うことがよくある。
どころか、道自体が新しくできていて、日本で発行されてるガイドブックの地図など、まったくあてにならない。
と思ったら、北京でもっとも多く売られている地図(北京公式観光地図はおそらくこの1つ)もさっぱりあてにならなかった。

北京で観光客が持っている地図は皆同じこの地図なのだが、これは未来予想図だった。
地下鉄は現在何路線か開通しているが、この2倍以上の路線が、現行の路線と同じように記してある。
明日はここで乗り換えてあそこへ行こう、などと宿で計画を立てても、実際駅に行ってみると、そんな電車は無いのだ。
道路も同じこと。
観光客用として唯一売ってる2009年度版地図が、こうなのだ。
北京では、この地図片手に迷っている様子の観光客をよく見かける。
しかし実際これをすべて2009年中に出来上げる予定なのかもしれない。

地図はその典型。
中国には、わざわざ表示しているのに、実際には無いものがたくさんある。
代表的なのはトイレ。
街のあちこちに「公共厠→」などと表示があるので、初めは安心していた。
ところが、実際厠に行こうと表示どおりに行くと、迷ったり無かったりすることが多い。
これには正直あせる。
中国の道は長い。
「公共厠→200m」なんて書いてあっても、実際は300m400mはザラで、切羽詰ってる時にこの表示を頼りに、延々1キロ小走りして結局元の場所に戻ってしまって、「バカじゃないの中国!」とつい言ってしまう場面はよくある。
ドアに厠と書いてあっても信用してはいけない。
鍵がかかっていたり、厠のくせに大小便禁止だったりする。
オリンピック会場の「鳥の巣体育館」では、掃除人がトイレを使わせないという場面に出会った。
30個ほどある個室に入ろうとする客を追い払うのに忙しく、掃除をする暇が無いから使わせない、という本末転倒な話だ。
しかし北京はそうとうマトモな方だ。
実際に表示通りに公共厠があって使える確立は80%、他の街だと実際には無い確立80%だ。

初めからそんな表示出さなきゃいいのに、は、まだある。

矢印。
二股の道では真ん中や、壁に突き当たる所で真っ直ぐを指している事にはもう慣れてきたし、
「←東 →北 ↑西 ↓南 」なども笑えるようになってきた。

あと観光地の説明。
日本語らしきことが書いてあるから読めば、さっぱりチンプンカンプン。
欧米人いわく、英語もフランス語もさっぱりチンプンカンプンだと。
英語はイングリッシュではなく、チン(中国)グリッシュなのだと。
なのにわざわざ外国語らしき表示をしてる。
日本でももしかしたら外国語の説明文はそうなのかな、などと思ってしまう。

中国での観光地の説明文に意味はわかる外国語が書いてある時は、見ればわかる事ばかりの羅列で、なぜそうなのかなど一番知りたいことは、 「ある理由でこうなってます」 なんて書いてあり、結局なんの説明にもなってないこともよくある。

それと交通整理のおじさんおばさん。
私から見ると交通整理の人らしき服装なのだが、道路の脇に旗を持って立っているだけ。
天安門広場の前などは交通量もはげしく信号も無いので、彼らは事故があった時の目撃証人者としての役割だけを請け負ってる人達なのかもしれない。
そんな格好してるから交通整理の人だと勘違いしてしまう。
でもこれも中国じゃ当たり前の風景。


しかし、外国人ツーリストがよく口にする言葉、
「This is Chaina」
呆れたり怒ったりイライラしてはいけないのだ。
これがすべて中国なのだ。

■中国*北京(ベイジン)

北京には来る予定ではなかった。
しかし中国を旅行していて、この国の首都を是非見たくなった。

来て良かった。
北京、面白い。
この3ヶ月間で見てきた中国が、ここには凝縮されている。

■中国*内モンゴル自治区*シリンホト*「マイナス20℃」

フフホトで、初めて入ったモンゴル料理屋の家族が、とてもいい人たちで気に入ったので、2日間そこに通った。

せっかくモンゴル自治区に来て、モンゴル料理を1軒でしか食べていないのは、自分で納得いかないので、もっと田舎の町で羊肉を堪能することにした。

そこでこの自治区について調べてみると、シリンゴル盟という地区があった。
「シリンゴル」
それは私が日本で行ったことのある唯一のモンゴル料理屋、巣鴨の「シリンゴル」と同じ名ではないか!?
これは期待できそうだ。
きっとモンゴル料理屋がひしめき合っているに違いない!

そしてフフホトから10時間かけて、シリンゴル盟の首都、このシリンホトへやって来た。
シリンホトへ2 シリンホトへ3 シリンホト開発
高速道路沿いに、工業地帯はあったもののゲルはなかった。

そして、ここは冷たく痛い。
緯度は北海道の旭川とほぼ一緒。
気温は最低気温マイナス20℃最高気温マイナス6℃。
朝起きたら、部屋の窓ガラスの内側が凍っていた。
晴れていて、寒くはない。
服からでている顔は麻痺して、寒ささえ感じない。
凍りつく窓

ここでもモンゴル料理屋は、探さないと無かった。
ずらりとありきたりな中華屋ばかり。
探せばあるので、見つけた時に、そこで食事をしている。
湯餃 湯餃2

塩茹で羊肉など、骨付きのまま茹で上げただけの物など、シンプルなのに物珍しくはあるが、これといって美味ということでもなかった。
モンゴル料理は、この寒い地方の人たちの栄養をとる手段的な、油っぽい食べ物が多いのが特徴だ。
しかし、塩味のミルクティーだけは、とても気に入った。
身体の芯から温めてくれる。

自分で納得のいくまでモンゴル料理を堪能できたので、明日、いよいよこの国の首都、北京に行くことにした。

■中国*内モンゴル自治区*フフホト*「HOTHOT」

3ヶ月前に中国に来てから、ずっと気になっている地名がある。
それは「HOTHOT」

中国のCCTV(日本のNHKのようなもの)の9チャンネルは英語放送をやっているのだが、これがけっこう面白い。
中国各地の観光レポートや世界のニュースなどを英語で放送している。

このチャンネルの天気予報で気になる場所がある。
いつも気温がマイナスだ。
最低気温がマイナス20℃を下回るときもある。
なのに名前は「HOTHOT」
これは面白い。

このHOTHOTは何処なのだろうとずっと思っていたが、最近これはフフホトだということに気づいた。
この3ヶ月間で、中国を南から北に上がってきたのだから、せっかくだからこのフフホトに行ってみよう。
そしてこのフフホトはモンゴル自治区なのだから、きっとまた違う「食」に出会えるに違いない。

銀川からフフホトまでの道のりでは、きっと遊牧民の移動用住居ゲルが見れるだろうと心膨らませたのだが、高原には、ときどき発電所が現れたが、ゲルは現れなかった。

フフホトは都会。
そして寒い。
緯度は北海道の函館くらい。
フフホト駅 フフホトの大通り フフホトの果物売り

この地で、まず最初食べる朝ごはんはモンゴル料理にしたかった。
しかし、モンゴル料理屋は見当たらなかった。
どこもかしこもごく当たり前のどこにでもある中華料理屋だった。
昼過ぎまで探し回ったが、モンゴル料理には出会えず、結局イスラム教徒の営むウィグル料理屋に入った。

その後も街を歩き回ったが、モンゴル料理屋はなかった。

夕方、ホテルに戻ると、ホテルのすぐ近所に、あれほど探し回ったモンゴル料理屋が1軒あるではないか。
そこで夕食をとった。
フフホトの草原人家 蒙古包子と湯とネイ茶 肉餅とネイ茶


宿に帰ってCCTV9を観て、あれれと思った。
3ヶ月間、「HOTHOT」だと思い込んでいた場所は「HOHHOT」と表記されていた。

■中国*寧夏回族自治区*銀川(インチュアン)*「たび重なる事件③」

パトカーでホテルに向かうことになった。

初め乗り込んだパトカーはなぜかエンジンがかからなかった。
乗り換えようとしたパトカーは、運転席の扉以外開かず、しばらく数人であれこれやっていたが、結局運転席から乗り込んだ。
警官達は大笑いしていた。
こんな事、不思議だよ、可笑しいね、と警官の一人が話しかけてきたが、私は笑えなかった。

ホテルでは、3人の警官と私を見て、先ほどのフロントの女の子が心配顔になった。

そして、警官達が豹変するのを見た。

今までの私への態度と180°変わった。
強い口調で何か言っている。
女の子は完全におびえていた。
初めて見る男性が現れ、たぶんこのホテルのオーナーであろう、彼が対応をした。

しばらくやりとりが続き、台帳やらなにやらチェックを受けていた。

その間、オーナーらしき男性は、しきりにタバコとお茶をエリートに勧めていたが、エリートは断っていた。

私はそばで様子を伺っていた。
申し訳なくて、顔を上げることができなかった。
30分ほどやり取りは続いた。

オーナーにもフロントの女の子にも引きつった笑顔が現れてきた頃、エリートは私に言った。
「あなたは今晩と明晩の2日だけここに泊まっていいですよ。」

エリートは私が翌々日のフフホト行きのチケットを持っていることを知っている。
だからそれまでここに居ていいというのだ。
ということは、ホテルも営業停止ではないのだ。

意外な展開だった。
何をどうしてこういう展開なのか、私の予想は狂ったが、安堵感と申し訳なさで胸がいっぱいになった。

以前、英語を話す中国人の5人兄弟(!)の女の子が、中国はお金を払えば何とでもなるのよ、と私に言ったことを思い出した。

お金の力でなんとかなったのであろうか?
私にはわからない。

エリートは言った。
「長い時間でお腹もすいたでしょう?一緒に晩ご飯食べませんか?」
とてもお腹は空いていたけど、とてもじゃない、一緒にご飯なんて食べる気になれない。
疲れているからという理由で断った。


この結果を私は安堵していいのか、いまだ複雑な心境にいる。

■中国*寧夏回族自治区*銀川(インチュアン)*「たび重なる事件②」

ホテルの女性に連れられ、公安警察で、大まかな事情を彼女は話してくれたようだった。

確認のため、私も警官に大まかな事情と、被害証明が欲しいことを伝えた。
私に少し待つように警官が言い、彼女は安心して帰っていった。

しかしその公安内は私の被害届けどころではなかった。

私が座らされた椅子から、開きっ放しの扉の隣の部屋の一部が見えた。
その奥から、男の泣き叫ぶ声が響いていた。
それは悲鳴に似ていた。
その男は尋問(?)を受けている様子だった。
何か壁に叩きつけるようなゴンゴンという鈍い音やら、時たま怒鳴り声も聞こえる。
入り口に靴が1足放り出されていた。
床上30cmにはパイプのバーが備え付けてあり、手錠がぶら下がっていた。
入れ替わり立ち代り、複数の警官が出入りしている。
新聞紙にくるまれた長い棒状の物や、私にはどう使うのかさっぱりわからない物体を持ち込んでいる。
現場は見えなかったが聞くに堪えず、いつまで待つのか尋ねたが、まだ待てと言う。
2時間程その状況の中待たされた。

仕方ないので、警官達のランク付けをして時間を潰した。
誰が上司で誰が下っ端か。

そのうち隣の部屋は静かになり、救急と書いた大きなカバンを持った白衣の人が、武装警察と共に現れ、同時に私にもラフな格好の通訳がやって来た。

その人は今まで私が付けたランクでいきなりトップにおどり出た。

彼は通訳ではなかった。
自ら私に流暢な英語で質問してきた。
なぜ、盗難だと思うのかから始まり、合作の町で訪ねられたような、旅行に関しての細かい話しを訊かれた。

そして当然の質問になった。
「どこのホテルに泊まっているんですか?」
答えると、部屋の空気が変わった。
私は瞬時に理解した。


中国にはホテルは2種類ある。
外国人が泊まっていいホテルと、いけないホテル。
それは私達ツーリストには一見しただけでは判らない。
訪ねて断られれば、外国人を泊めてはいけないホテルだ。
しかし貧乏旅行者が泊まるような安宿は、外国人を泊めるライセンスを持っていないのに、こっそり泊めていることがほとんどだ。


いきなりそのエリートが警官達に指図を始めた。
そして私に言った。
「あなたはこの後、私が紹介するホテルに移らないといけません。あなたが泊まったホテルは外国人を泊めてはいけないホテルなのです。」

あのホテルが摘発される!

私は歌舞伎町で何度も、いや何十回も、店が摘発される現場を見ている。
容赦なく、店内の重要なものは運び出され、その日からその店は営業停止だ。
そして従業員は逮捕され、しばらく刑務所暮らしだ。

今朝丁寧にバスターミナルへの行き方を教えてくれた女の子や、カメラを無くして相談に乗ってくれた2人の女の子、ここまで連れてきてくれた女性、のことが頭に浮かんだ。

なんてことになってしまったんだ!
被害届けなんて出さなきゃよかった!
私のせいでこんなことになるなんて!
自分に悔しくて涙が出てきた。

そしてエリートはにこやかに、私にカメラの盗難被害証明書を渡したが、私はちっとも笑う気になれなかった。

■中国*寧夏回族自治区*銀川(インチュアン)*「たび重なる事件①」

ここ銀川は、
中国史が好きな人には、「西夏王国」の首都だったところ、と言えば分かるのではなかろうか。
食べ物好きには、「クコ」の産地、と言っておこう。
クコの実を、お茶に入れて飲むことを、前の都市蘭州で覚えたので、日本では高価なこの実をやや多めに買いだめをした。
また、この実は酒に漬け込むと、滋養強壮酒になるという。

そしてここは乾燥している。
日本から持ってきた「メンソレータム薬用リップ」はここでは役立たずになった。
つけてもつけてもすぐに唇が乾燥する。
だから洗濯物も乾くのが早い。
成都では2~3日乾かなかったが、ここでは半日で乾く。
喉も渇く。


銀川に到着した翌朝、フフホト行きのバスの出るターミナルへの行き方を、宿のフロントの女性に訊いたら、実に親切丁寧に教えてくれ、かなり遠くの場所だったが、迷うことなくすんなりとそこへ行けた。
そもそも私は、宿のフロントの人が気に入らないところへは泊まらない。
だから私の泊まる宿の人は皆、優しく丁寧で感じのよい人ばかりなのだ。

バスターミナルの手前に空き地の面白い風景があったので、それを写真に撮り、カメラをいつも通りカバンのいつものポケットにしまった。

歩いてここへ来るまでに、この町は3泊すれば満足するだろうとふんで、翌々日のフフホト行きのチケットを買い、ターミナルから公共バスで街で一番大きい公園へ行った。

公園では子供達が凧揚げをしていて、凧屋がたくさん出ていた。
日本の凧とはかなり趣が違って面白かったので、その風景を写真に撮ろうとした。

ところがだ、無いのだ。
カメラが無い。
カメラだけが無い。

自分を落ち着かせ、全身全部探したが見つからなかった。
最後に写真を撮ってから、1時間は経っていない。
その間、どこでどうして無くなったのかさっぱり見当がつかない・・・・

脱力した。
この旅のすべての映像が入っているだけでなく、ロマンと一緒の1週間にロマンのカメラで撮った写真やビデオもすべてもらってその中に納めていた。

もう見つからないと分かっていた。
この街がやけに広く感じた。

しばらく公園にたたずんでいたが、諦めは案外早くついた。
財布もパスポートも無事だ。

私はクレジットカードを持っており、それには日本出国後3ヶ月間の保険がついている。
おそらくスリに遭ったのだから、盗難被害証明をもらい、保険を適応して新しくカメラを買おう!

近くの人に、警察はどこか訊いたが知らないと言われた。
ここは都会。
誰が地元の人で、誰が観光客なのか、私には分からなかった。

こういう時は宿に帰って相談しよう!

宿のフロントで事情を筆談すると、横でそれを聞いていた掃除人の女性が、
「20分待ってて。そしたら私の仕事が終わるので、警察に一緒に行って、事情を話してあげる。」
と言ってくれた。
心から有難いと感謝した。

が、私は、結果的にこの恩を仇で返すこととなってしまった。

■中国*甘粛省*蘭州(ランジョウ)*「ロマン⑥」

甘粛省の蘭州に強制輸送された私達は、もう自由だった。


蘭州では、急に「食」が変わった。
ここは牛肉麺(ニュールーメン)の発祥地。
町の中は牛肉麺の文字だらけ。
専門店も多くあり、大か小か量を選べ、麺の太さを選べ、牛肉スライスのトッピングもでき、漬物もセットにできる。
ベースのスープは透明で辛さはないが、仕上げにラー油をたっぷり入れる。
行列のできている専門店のものは、後味にとてもさわやかな薬草のような香りがして、非常に美味しい。
食堂では、麻婆豆腐などのメニューもあるところもあったが、ここは肉文化のようだ。

いつも思う。
通り過ぎた食べ物飲み物達はどれも美味しかった。
香港マカオのエッグタルト。
広東地方のお粥や腸粉。
福建地方の鉄観音。
雲南地方の米線。
四川地方の麻婆豆腐や魚香茄子。そして激辛鍋。
蘭州の牛肉麺もそうなるのだろう。
他の地方では、あえて探さないと出会えないし、出会ったところで本場ほど美味しくないだろう。



蘭州に到着した翌日、町の北側を流れる黄河周辺を散歩し、今後はお互いどのようなルートをとるのか話した。

蘭州は地理的に中国のド真ん中。
シルクロードの要の土地でもある。

私は更に北上しモンゴル文化圏に行き、ロマンはそのままシルクロードを西に向かうことになった。

最後の夕食では今まで以上に色んなことを話した。
過去の旅の話し、お互いの母国の話し、家族の話し、恋人の話し・・・

そしてロマンは西へと旅立っていった。

どうもありがとう、ロマン。
あなたのお蔭で、楽しかった。
面白い出来事ともたくさん出会えました。
興味深い話しもたくさん聞けました。
お互い身体に気をつけて、人生の長い旅を続けましょう。
本当に感謝しています。
ありがとう、ロマン。

私は北上して、銀川に向かった。

そして銀川で、私には、さらなる事件が起きた。


追伸
ロマンのブログに私の写真あります。2009.02.17、2009.02.18、2009.06.12。文章はドイツ語です。)

■中国*甘粛省*合作(ラーツェ)*「ロマン⑤」

事件は朗木寺から夏河へ向かう途中、合作という町の入り口で起きた。

このルートでは、途中しばしば公安の検問所があり、チベット人だけが厳しいチェックを受けていた。
身体検査されカバンの中もすべて調べられていた。

合作の町の入り口近くで、今までに無い大規模軍隊が道路の真ん中に砦を作ってるのが見えた。
どこの国でもそうだが、軍関係のものを写真に撮ったことがバレると面倒なことになる。
分かっていたが、これだけ距離があれば大丈夫だろうと、こっそり1枚だけ写真を撮った。
どう写っているのか、撮った私もわからない。

やはりチベット人だけがバスから降ろされ、厳しくチェックされていた。
しばらくバスは停車していた。

ややもすると大人数のアーミーがバスに乗り込んできて、まっすぐ私に向かって来て言った。
「カメラを出しなさい」
写真を撮ったのがバレたとすぐ分かった。
素直にカメラを出し、撮った写真を見せた。
そこには、バスの通路を隔て座っていた乗客達の姿の間から窓ガラスを通して、砂袋の砦の向こうに緑色の服の軍隊がうっすら写っていた。

消去しろと言っているのが分かったので、急いで消去し、他には軍隊を撮っていないことも見せたら、先頭の一人が「OK」と英語で言ったので、ホットしたのもつかの間。
またしても大人数が乗り込んできて、今度はロマンに降りろと言う。
砦の近くで軍人達に囲まれ、もめているロマンをバスの中から見守った。

ロマンが降ろされ5分くらい経過しただろうか、またまた軍人が私のところへやって来て、ロマンの荷物もすべて持って、私も降りろと言う。
その時私はカメラを取り上げられた。

すべての荷物をバスから出し、私達は近くの建物へ連行された。
ロマンはパスポートを取り上げられていた。

建物の部屋に入ってギョッとした。
入り口横には、おそらく拷問椅子であろう鉄製の物体が、無造作に置いてあった。
その椅子は、手首と足首と腰をボルトで止める仕組みになっており、転倒防止のためか4本足の床との接触部分には、同じく鉄製の円盤が付いていた。

私たちは奥にあったパイプ製の簡易ベッドに座らされ、見張りつきで1時間程待たされた。
ロマンはカタコトの中国語が話せるが、初めから一切英語で通していたので、公安はおそらく通訳を探していたのだ。

私と彼の会話は自由だった。
「あの椅子見た?」
と、私が訊くと、彼は、
「BADな映画でああいうの見たことあるよ」
と答えた。

通訳が見つかったのかその後、私達は車で合作の公安本部に運ばれた。
車はフォルクスワーゲン社のものだった。
「僕にこんな仕打ちしといて、車はドイツ製だよ」
ドイツ人のロマンはイヤミっぽく言った。

合作の公安本部で、英語の通訳を通して尋問が始まった。

初め通訳が「ようこそ中国へ、そして我が町合作へ」と言ったが、どう考えても歓迎している待遇ではなかった。
中国に来た目的、今までのルート、なぜ合作に来たのか、これからどこへ行くつもりだったのか、私達はどこでどうして知り合ったのか、など詳しく訊かれた。
ロマンとは黄龍からずっと一緒に観光していたので、彼がその辺のことは、英語下手な私の代わりに話してくれ、私はうなずくだけだったので助かった。

2人とも部屋の中で写真を何枚か撮られ、パスポートは何枚もコピーされた。
コピー機は富士ゼロックス社製だった。

公安いわく
「今、チベットエリアは外国人にとって大変危険で、暴徒があなた達に危害を加える恐れがあります。そんなとき夏河の警官は皆チベット人なので、あなた達を助けることができません。あなた達をこうして助けられるのは私達だけです。だから夏河には行けません。そしてここも危険なので、あなた達は今すぐに蘭州に行かねばなりません。」
ですと。

もうすっかり日は暮れていた。
蘭州までは5時間かかる。
到着は夜中になってしまう。
ロマンが、今晩はこの合作に泊まりたいと願い出たが、無駄だった。

バスターミナルへ連れて行かれる時、
「車はドイツ製、そしてコピー機は日本製だったよ」
と私が言うと、
「僕も気づいたよ」
とロマンも笑った。

蘭州行きのバスに乗せられ、その後バスがチベットエリアを抜けきるまで、ずっとパトカーが私達のバスの後ろを走っていた。

こうして私達は蘭州に強制送還された。

公安は、あくまでも私達を守るために、このような対策をとっている風な感じをアピールしてたが、あれはどう考えても逮捕・拘束・尋問だった。

ロマンも言っていた。
「暴徒が僕達を襲うって?!チベタンは中国当局に抗議しているのに、なぜ僕達を襲わなきゃならないんだ?!」


中国政府はオフィシャルには、チベット自治区以外の四川や甘粛のチベットエリアを、外国人は入境許可証無く自由に観光できる、と謳っており、私達が訪れたのは四川と甘粛だが、実際は政府の言っている通りではないらしい。

通常、「チベット自治区」へ外国人が入るには、中国政府の発行する「チベット自治区入境許可証」が必要だ。
ただしこの許可証は、昨年3月のチベットで起きた暴動以来、貧乏ツーリストには一切発行しなくなった。
(ちなみに莫大な金額を払えば、かなりの厳しい条件付で発行されると言われている。自由行動は一切無い3~4泊ほどのツアーで、10万円以上との噂があるが、どこの旅行代理店で扱っているのかわからない。)

3月はチベット暦の正月だ。
昨年の暴動も3月に起きた。
そして今年は、ダライラマがインドへ亡命して50年目にあたる。
今年の3月にも大規模な抗議が行われる事を、中国政府は予測している。
中国はチベット問題にピリピリしているのだ。

今回はこの程度の事で済んだから良かったものの、世界中いたるところで揉め事は起きている。
それを肝に銘じた出来事だった。

■中国*四川省*朗木寺(ランムース)*「ロマン④」

四川省から甘粛省の蘭州へ山の中を抜けるため、私達は二つの町に立ち寄る予定だった。
一つ目は朗木寺(ランムース)。
二つ目は夏河(シャハ)。


この辺りの山中はチベット文化圏だ。
バスに乗っていても、景色ともども人々の服装も楽しい。
朗木寺行きバス 朗木寺までの車窓 道路が見える
チベット人のお婆さん



朗木寺はチベット人の住む小さな村。
村には二つのチベット寺院があるが、文化大革命によりいずれも壊滅的に壊され、1980年代に再建されたのだそうだ。
寺院には鳥葬場もある。
鳥葬場には、カラスよりやや小さめの黒い羽を持った赤い口ばしの鳥がたくさん飛んでいて、やや怖い感じがした。
犬の死骸がまるで生きているようだったが、写真を撮る気がしなかった。
人の亡骸はなかった。
朗木寺のメインストリート チベット僧で賑わう道 朗木寺の町

朗木寺では、この旅始まって以来の安宿(25元=350円)に泊まったが、オイルヒーターもあり景色も良く、気に入った。

私達は、半日あれば十分町を散策できる朗木寺を翌日の昼に出発し、次の町、夏河へ行くことにした。

そして、夏河に向かっているバスで事件は起こった。

■中国*四川省*九寨溝(ジュウジャイゴウ)*「ロマン③」

黄龍で車が通るのをしばらく待っていた私達は、休業中の乗り合いバスの運転手に発見され、無事に松藩に帰れた。

翌朝、九寨溝に移動したが、この町も閑散としていた。
ゴーストタウンのようだ。
九寨溝1 九寨溝2 九寨溝3

しかし、720k㎡ある国立公園は広大で美しかった。
観光客がほとんどいないので、この景色を一人じめ、いや二人じめだ。
九寨溝4 九寨溝5 九寨溝7
2日間かけて私達はこの九寨溝を散策した。
九寨溝8 九寨溝9 九寨溝6
標高3000m以上のところにこんなに美しい場所があるなんて、これはいくらなんでも中国の作り物ではないであろう。
神秘を感じ、穏やかな気分になった。

■中国*四川省*黄龍*「ロマン②」

黄龍の入り口は閉まっていたが、入り口横の建物に人影があったので、そこで尋ねてみた。
10時に開門だという。
現在8時。
外は凍てつく寒さ。
その守衛に、部屋の中に入れてもらえないか頼むと、こころよく入れてくれた。
守衛は気を利かせたのか、宿泊部屋のテレビをつけ英語字幕付の番組にしてくれ、つまらないバラエティーだったが、時間をつぶせた。
ロマンと一緒に黄龍を散策することとなった。

黄龍は予想外の景色だった。
本来の黄龍は、棚田のような池がいくつも段々状にあり、縁の石灰質の黄色と青い水が美しいコントラストを描き、絶景なはずなのだ。

池は凍っていた。
石灰質は水を浸透しやすく、氷となって流れない水は吸い込まれ、干からびていた。
また、膨張した氷がなだらかな斜面を覆い、スキー場型のスケート場のようにもなっていた。
黄龍1 黄龍3 黄龍2

7キロくらい歩いたろうか、思い描いていた景色が突然現れた。
この広い公園に小さく小さく。
黄龍4 黄龍5 黄龍6
標高が高く酸素もうすい中、3時間も坂道を登り続けた褒美に感じた。



帰り道は森の中を通った。
黄龍7 黄龍8 黄龍9
まるで宮崎駿の「もののけ姫」の舞台みたいだな、と思っているところへ、ロマンが話しかけてきた。
「僕は日本の映画で宮崎駿が好きだよ」
「ここは、モノノケヒメのステージみたいだね」

ロマンは宮崎駿の映画をそうとう観ていた。
日本の政治・経済のことも分かっていた。
日本人の話す英語の特徴も良く知っており、それを理解してくれた。

それどころかロマンは、漢字を正確な書き順で書けた。
日本で使われている漢字をそのまま中国人との筆談で書いてしまった私に、
「その字は中国では、こう書くんだよ」
と教えてくれたりした。

彼は日本語は話せなかったが、中国語はカタコトでも私以上に話せた。

何より彼の感覚は、頭も性格も良く好奇心旺盛で行動力のある日本人、のようだった。



15時、成都から1日1本黄龍の前を通過するバスに、私たちは乗って帰る予定だった。
しかしバスは満席で乗せてもらえなかった。
1時間待っても他の車もこの道を通ることはなかった。

ロマンは言った。
「大丈夫。行きのバスはくにゃくにゃとこの山道を1時間半かけて来たけど、僕たちは直線コースで帰れば良いのだから、1時間半もかからないよ」
実に面白い青年だ。

シーズンオフの山の中。
他にツーリストはいない。
同じコースで甘粛省の蘭州に向かう彼と、この先しばらく行動を共にすることとなった。

リサ婆

現在無職。日本在住。
バーのママ歴
中野で4年
歌舞伎町で12年
海外旅行歴
人生の中で延べ約4年
約50ヶ国
春からカレー屋をやるべく、現在奮闘中。

!注意!お願い!
本文中、イスラム教を国教とした国の事を「イスラム国」と書いたのがたくさん出てきますが、それを書いた時点ではまだイスラム国(ダーイッシュ、ISIS)が無かったため、そのような表記になっております。
ですので本文中にある「イスラム国」は、ISISとは関係なく「イスラム教の世界」「イスラム教を国教とする国」というニュアンスでお読みください。

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