■甘粛省

■中国*[万里の長城]

数日前に嘉峪関で万里の長城の終点を見たと思ったら、更に西にある敦煌に、これこそ本当の終点という場所があった。
こちらは明代の嘉峪関よりも古く、漢代のものだという。
二つの関所が朽果てて残っていた。
これが本当の万里の長城終点の玉門関 陽関

本当に万里の長城は長い。
長い長城には、関所がいくつかある。

そして思う。
中国は今でも、壁とか柵で仕切ることが大好きだ。
入り口も出口も関所に集中させる。
今もそのような街の造りは、長い歴史からきているのだろうと思った。

道路の中央分離帯も、人が越えられない高さで長く続く。
道路の反対側に目的の物を発見しても、その間には果てしなく長い分離帯が横たわっている。
目視では切れ目は発見できない。
目の前に目標があるのに、たどり着けない。
向う側に見えている物にようやくたどり着いても、長い壁で囲ってあり、どちらに行けば入り口なのかはもう運まかせ。
とにかく歩く。
実に体力が必要。
今は車やバイクに代わったが、ひと昔前に皆自転車に乗っていたのは納得できる。

北京で私は、天安門広場のすぐ前に泊まっていたが、いったん広場とは反対方向に歩き、道路を渡り、地下歩道を通ってから地上に上り、すこし歩いてまた地下歩道を通りボディーチェックを受けて地上に出ないと広場には行けない、というとんでもなく遠廻りがとても面倒だった。
近道しようにも、ガードレールが高くて越えられない。
ボディーチェックのためそこまで遠廻りさせるのなら、徹底してすればいいのに、私の他にも素通りしている人は何人もいた。

関所はどこの国にもあったとしても、こんなに長い壁で仕切るなんて、大昔からこの国のエラい人は長い壁が好きなのだ、きっと。


砂漠の柵
砂漠にまで柵を造ってるところも中国らしいと思った。

■中国*甘粛省*敦煌(トンファン)

テレビでシルクロード特集を観ると、だいたい西安と敦煌はセットで紹介されているので、中国に来るまで、西安と敦煌は違うと知らなかった。


敦煌はズラリと彫られた石窟 [ 莫高窟 ] が有名。
石窟の中の壁には仏画が描かれており、仏像を安置している窟もある。
すべての窟には扉がつけられ鍵がかかり、勝手に見ることはできない。
岩壁はきれいに整備され、パッと見は、ただのアパートのよう。
莫高窟1 莫高窟2 莫高窟3

ここは今まで行った有名観光地の中で、もっとも入場料がお得だった。
100元(1500円)で、日本語のガイドも付く。
中国の観光地の入場料は、他の物価に対してそうとう高い。
西安の兵馬俑は、65元と表示しといて90元取られた。
そしてオプションの日本語ガイド費用は最低100元、高いと300元はする。
それが、ここ敦煌の莫高窟では、入場料80元ガイド20元。
外国人は必ずガイドをつけなくてはならないが、日本語や英語を選べる。
私はスンナリ中国人料金で入場させられそうになったが、ここはあえて自主的に日本人だと主張。
20元多く払って日本語ガイドを付けてもらった。
そのガイドは、すでに日本人家族3人に予約されていたので、その人達と一緒に廻った。
お祖父様と20代の孫2人。
付ききりの別の日本語ガイドを伴っていて、私が一人であることを不思議かつ珍しがっていた。
しかし、家族だけでガイドを伴い旅行する人を、私も珍しいと思った。
莫高窟では, 日本語ガイドのお蔭で一通り理解できた。


敦煌の南には砂漠が広がっている。
生まれて初めて砂漠を見た。
鳴沙山 鳴沙山の砂 鳴沙山の砂のアップ


敦煌もまた、急ピッチで再開発中だった。
町の近くに鉄道の駅が開設され、町の中心部は大規模な工事中で、中国お得意の、どこも同じ造りで個性のない [ 古城 ] 風にしている真っ最中だった。
真ん中の写真の [ 折 ] という字は、まもなく取り壊しを意味している。
敦煌の夜 庶民的な一画 個性のない町造り中

私の訪れた街は、どこもかしこも大規模工事中だった。
そしてどこもかしこも似たような造りにしている。
雲南省の麗江や大理の古城 ( 最近造られているので新城と言いたい ) の大型パターン。
おそらく漢族の好きなパターンなのだろう。
続けてたくさんの街を訪れているので、もうお腹いっぱい状態。
いや、それを通り越してかなり胸焼けしている。
日本でも、東京も大阪も札幌も際立った違いはないから、よそ様のお国のことは言えた義理ではないのだが。

■中国*甘粛省*嘉峪関(シャーユークワン)

ここ嘉峪関には、万里の長城の西の終点があると聞いたのでやって来た。
北京で観た万里の長城が、快速電車でも30時間以上かかるここまでつながっていたとは恐れ入る。
嘉峪関の長城1 嘉峪関の長城2 嘉峪関の長城3
秦代ではなく、それより新しい明代に造られた長城。
観光客が誰もおらず静か。

そして長城は、嘉峪関という関所から、すでに朽ち果てた姿となった物見台で終わっている。
嘉峪関から見える発電所と工場群が、過去と現在の時間枠を無視しているようで印象的だった。
嘉峪関 朽ち果てた物見台 嘉峪関からの風景

朽ちた物見台の脇にはこんな景色が広がっている。
物見台の脇1 物見台の脇2 物見台の脇3

この谷が長城の役目をしていたのだね。
そこには昔の様子を再現したセットが造られていた。
物見台の脇4 物見台の脇5 物見台の脇6

左の写真の右上の岸壁に掘られた、物見台と景色を物見する大きな展望台が、とても小さく感じる。

中国は本当にダダッ広い。

■中国*甘粛省*蘭州(ランジョウ)*「ロマン⑥」

甘粛省の蘭州に強制輸送された私達は、もう自由だった。


蘭州では、急に「食」が変わった。
ここは牛肉麺(ニュールーメン)の発祥地。
町の中は牛肉麺の文字だらけ。
専門店も多くあり、大か小か量を選べ、麺の太さを選べ、牛肉スライスのトッピングもでき、漬物もセットにできる。
ベースのスープは透明で辛さはないが、仕上げにラー油をたっぷり入れる。
行列のできている専門店のものは、後味にとてもさわやかな薬草のような香りがして、非常に美味しい。
食堂では、麻婆豆腐などのメニューもあるところもあったが、ここは肉文化のようだ。

いつも思う。
通り過ぎた食べ物飲み物達はどれも美味しかった。
香港マカオのエッグタルト。
広東地方のお粥や腸粉。
福建地方の鉄観音。
雲南地方の米線。
四川地方の麻婆豆腐や魚香茄子。そして激辛鍋。
蘭州の牛肉麺もそうなるのだろう。
他の地方では、あえて探さないと出会えないし、出会ったところで本場ほど美味しくないだろう。



蘭州に到着した翌日、町の北側を流れる黄河周辺を散歩し、今後はお互いどのようなルートをとるのか話した。

蘭州は地理的に中国のド真ん中。
シルクロードの要の土地でもある。

私は更に北上しモンゴル文化圏に行き、ロマンはそのままシルクロードを西に向かうことになった。

最後の夕食では今まで以上に色んなことを話した。
過去の旅の話し、お互いの母国の話し、家族の話し、恋人の話し・・・

そしてロマンは西へと旅立っていった。

どうもありがとう、ロマン。
あなたのお蔭で、楽しかった。
面白い出来事ともたくさん出会えました。
興味深い話しもたくさん聞けました。
お互い身体に気をつけて、人生の長い旅を続けましょう。
本当に感謝しています。
ありがとう、ロマン。

私は北上して、銀川に向かった。

そして銀川で、私には、さらなる事件が起きた。


追伸
ロマンのブログに私の写真あります。2009.02.17、2009.02.18、2009.06.12。文章はドイツ語です。)

■中国*甘粛省*合作(ラーツェ)*「ロマン⑤」

事件は朗木寺から夏河へ向かう途中、合作という町の入り口で起きた。

このルートでは、途中しばしば公安の検問所があり、チベット人だけが厳しいチェックを受けていた。
身体検査されカバンの中もすべて調べられていた。

合作の町の入り口近くで、今までに無い大規模軍隊が道路の真ん中に砦を作ってるのが見えた。
どこの国でもそうだが、軍関係のものを写真に撮ったことがバレると面倒なことになる。
分かっていたが、これだけ距離があれば大丈夫だろうと、こっそり1枚だけ写真を撮った。
どう写っているのか、撮った私もわからない。

やはりチベット人だけがバスから降ろされ、厳しくチェックされていた。
しばらくバスは停車していた。

ややもすると大人数のアーミーがバスに乗り込んできて、まっすぐ私に向かって来て言った。
「カメラを出しなさい」
写真を撮ったのがバレたとすぐ分かった。
素直にカメラを出し、撮った写真を見せた。
そこには、バスの通路を隔て座っていた乗客達の姿の間から窓ガラスを通して、砂袋の砦の向こうに緑色の服の軍隊がうっすら写っていた。

消去しろと言っているのが分かったので、急いで消去し、他には軍隊を撮っていないことも見せたら、先頭の一人が「OK」と英語で言ったので、ホットしたのもつかの間。
またしても大人数が乗り込んできて、今度はロマンに降りろと言う。
砦の近くで軍人達に囲まれ、もめているロマンをバスの中から見守った。

ロマンが降ろされ5分くらい経過しただろうか、またまた軍人が私のところへやって来て、ロマンの荷物もすべて持って、私も降りろと言う。
その時私はカメラを取り上げられた。

すべての荷物をバスから出し、私達は近くの建物へ連行された。
ロマンはパスポートを取り上げられていた。

建物の部屋に入ってギョッとした。
入り口横には、おそらく拷問椅子であろう鉄製の物体が、無造作に置いてあった。
その椅子は、手首と足首と腰をボルトで止める仕組みになっており、転倒防止のためか4本足の床との接触部分には、同じく鉄製の円盤が付いていた。

私たちは奥にあったパイプ製の簡易ベッドに座らされ、見張りつきで1時間程待たされた。
ロマンはカタコトの中国語が話せるが、初めから一切英語で通していたので、公安はおそらく通訳を探していたのだ。

私と彼の会話は自由だった。
「あの椅子見た?」
と、私が訊くと、彼は、
「BADな映画でああいうの見たことあるよ」
と答えた。

通訳が見つかったのかその後、私達は車で合作の公安本部に運ばれた。
車はフォルクスワーゲン社のものだった。
「僕にこんな仕打ちしといて、車はドイツ製だよ」
ドイツ人のロマンはイヤミっぽく言った。

合作の公安本部で、英語の通訳を通して尋問が始まった。

初め通訳が「ようこそ中国へ、そして我が町合作へ」と言ったが、どう考えても歓迎している待遇ではなかった。
中国に来た目的、今までのルート、なぜ合作に来たのか、これからどこへ行くつもりだったのか、私達はどこでどうして知り合ったのか、など詳しく訊かれた。
ロマンとは黄龍からずっと一緒に観光していたので、彼がその辺のことは、英語下手な私の代わりに話してくれ、私はうなずくだけだったので助かった。

2人とも部屋の中で写真を何枚か撮られ、パスポートは何枚もコピーされた。
コピー機は富士ゼロックス社製だった。

公安いわく
「今、チベットエリアは外国人にとって大変危険で、暴徒があなた達に危害を加える恐れがあります。そんなとき夏河の警官は皆チベット人なので、あなた達を助けることができません。あなた達をこうして助けられるのは私達だけです。だから夏河には行けません。そしてここも危険なので、あなた達は今すぐに蘭州に行かねばなりません。」
ですと。

もうすっかり日は暮れていた。
蘭州までは5時間かかる。
到着は夜中になってしまう。
ロマンが、今晩はこの合作に泊まりたいと願い出たが、無駄だった。

バスターミナルへ連れて行かれる時、
「車はドイツ製、そしてコピー機は日本製だったよ」
と私が言うと、
「僕も気づいたよ」
とロマンも笑った。

蘭州行きのバスに乗せられ、その後バスがチベットエリアを抜けきるまで、ずっとパトカーが私達のバスの後ろを走っていた。

こうして私達は蘭州に強制送還された。

公安は、あくまでも私達を守るために、このような対策をとっている風な感じをアピールしてたが、あれはどう考えても逮捕・拘束・尋問だった。

ロマンも言っていた。
「暴徒が僕達を襲うって?!チベタンは中国当局に抗議しているのに、なぜ僕達を襲わなきゃならないんだ?!」


中国政府はオフィシャルには、チベット自治区以外の四川や甘粛のチベットエリアを、外国人は入境許可証無く自由に観光できる、と謳っており、私達が訪れたのは四川と甘粛だが、実際は政府の言っている通りではないらしい。

通常、「チベット自治区」へ外国人が入るには、中国政府の発行する「チベット自治区入境許可証」が必要だ。
ただしこの許可証は、昨年3月のチベットで起きた暴動以来、貧乏ツーリストには一切発行しなくなった。
(ちなみに莫大な金額を払えば、かなりの厳しい条件付で発行されると言われている。自由行動は一切無い3~4泊ほどのツアーで、10万円以上との噂があるが、どこの旅行代理店で扱っているのかわからない。)

3月はチベット暦の正月だ。
昨年の暴動も3月に起きた。
そして今年は、ダライラマがインドへ亡命して50年目にあたる。
今年の3月にも大規模な抗議が行われる事を、中国政府は予測している。
中国はチベット問題にピリピリしているのだ。

今回はこの程度の事で済んだから良かったものの、世界中いたるところで揉め事は起きている。
それを肝に銘じた出来事だった。

リサ婆

カレー屋歴3ヶ月
バーのママ歴
中野で4年
歌舞伎町で11年
海外旅行歴
人生の中で延べ約4年
約50ヶ国
春から間借りでカレー屋を始めましたが、7月31日閉店しました。

!注意!お願い!
本文中、イスラム教を国教とした国の事を「イスラム国」と書いたのがたくさん出てきますが、それを書いた時点ではまだイスラム国(ダーイッシュ、ISIS)が無かったため、そのような表記になっております。
ですので本文中にある「イスラム国」は、ISISとは関係なく「イスラム教の世界」「イスラム教を国教とする国」というニュアンスでお読みください。

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