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■春分の日

最近、ちょっとだけ暖かくなってきたと思ったら、今日はなんと雪ですね。

このブログを見てくれて、ゴールデン街ルルドにいらしてくださる方もいらっしゃるので、もっと更新せねばと思います。
思うだけで終わらないように、しっかり日々を楽しんで、思わず更新したくなるようにしたいです。
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■もう2月

気づけば、もう2月なのですね。
立春も過ぎ、こんなに寒いのに、暦の上ではもう春です。

今年初めてブログ更新です。

昨年は、中野リサバー閉めてカレー屋始めたり、そのカレー屋閉めて流しのカレー屋始めたり、父が倒れて自宅療養したり、その父が亡くなったりと、色々あった年でした。

今も実家が落ち着かないので、東京と実家を行ったり来たりの生活です。

週の半分は東京に戻っているので、新宿ゴールデン街の友人の店で、木金土だけ働き始めました。

ゴールデン街まねき通りにある、88p(ルルド)という店です。
木金土の19時くらいから0時くらいまで居ます。

新宿にお越しの際は、ぜひお立ち寄りくださいませ。

近況報告でした。

インフルエンザや風邪が大流行ですので、皆様お身体を大切にお過ごしくださいませ。

■父の死

自宅で療養していた父が、11月末の雲ひとつ無い清清しく晴れた日の昼に旅立ちました。

前日、前々日と、一晩中眠れず苦しむ父を徹夜で看病した私は、この日はどうも昼寝する気にはなれず、冷え切った父の手足を蒸しタオルで温めたりしていた。
そして、空気が足りないと訴える父に、窓を開けて、新鮮な空気を入れるから大丈夫よと言う事くらいしかできなかった。
私の実家は、他の地域ではめったに無いような強い海風がいつも吹いているような所にあり、窓を開けることはあまり無いのだが、その日は風も雲もなく暖かく、すごく気持ちのいい天気の日だな、と思った。

午前中に来てくれた看護師が普段どおりに父への看護をしてくれた後、私にそっと「間もなくだと思います」と教えてくれた。

「間もなく」って。

前の週に来てくれた看護師も「間もなくです」と教えてくれたので、その時私は「間もなくとは、あと数日という事ですか?」と聞いたのだが、数日かもしれないし数週間かもしれないとの答えをもらったので、この時も、間もなくとはどのくらいのことなのか分かっていなかった。
まさか2時間後の事とは露ほども思わなかった。

父は、この頃には言葉が少なくなっていたが、身振りを交え自分の意思や気持ちを家族に伝えていた。

この日私はどうしてなのかわからないけど、なぜか急に言いたくなり、ありがとうと父に言った。
唐突にありがとうと言った私に父はうなずいた。
父は自分の命が長くないということを私に伝えたので、私は冗談っぽく、外出中の妹が帰ってくるまで待ってねと言うと、うなずいてくれた。

いつものように父が母に身体を起こしてくれと頼み、母が父を抱きかかえると、父はじっと宙を見つめた。
とても純粋な大きな瞳でじっと宙を見つめているので、まさか亡き祖父母が迎えに来てしまったのかと思い、誰か居るの?何か居るの?私も同じ宙を見てしきりにたずねたが、答えは無かった。
同時に父が瞬きをしていないことに母が気づき、呼びかけにも応えず、父がたった今母の腕の中で亡くなったことを悟った。

人は、昏睡状態になってから死ぬものとばかり思っていた。
そう信じていた私にとって父の死は突然だった。
父の死はショックだが、人が突然に穏やかに死ぬのを初めて体験し、私は感動した。

父は生前、延命はしないで欲しい、通夜も葬式もやらなくていい、自分の遺体は献体に提供する、など家族に話していた。
家族は父の意思どおりに、家族だけで父の遺体と一晩過ごし、翌日遺体を献体する大学に預けた。

父の病気発覚からわずか2ヶ月半、ガン・在宅看護・献体、など、私の知識にまったく無かった事ばかりだったが、父のお蔭でそれらを知ることができ、そして、在宅看護と献体に関しては、想像をはるかに超えて頼もしく、私の家族にとっては素晴らしいものだった。

この2ヶ月の体験は、私の人生にきっと影響をもたらすことだろう。

■在宅医療

父がガンを患っているとわかり、年齢や体力に鑑みて、手術や抗がん剤はやらずに症状緩和のための放射線治療を行ない、2ヶ月間入院し、そして退院しました。

今は父と家族の希望により、在宅医療を受けています。

在宅医療の事を何も知らなかったので不安だらけでしたが、末期がん患者に対する在宅医療は、想像をはるかに超えて実にたのもしく親身なもので、父が自宅に帰って心から良かったと思っています。

うちの場合、日々の看護のほとんどを80歳を過ぎた母親一人でやっており、娘達は父が呼んでいるのや父の言葉を耳の悪い母に伝えるだけの役割くらいしかやっていないので、私は週の半分を実家にいても特にやることも無く、掃除や炊事など、介護に関係ないことをしています。

口から水分を摂るのが難しかったので、在宅で1日おきに点滴をしていた父ですが、昨日往診の医師に父が自ら、点滴は嫌いなので点滴をしないでとお願いし、医師がそれを認めました。

すでに3ヶ月近く食べ物もほとんど食べておらず、この上点滴もしないというのは家族にとっては心配ですが、本人が希望するのなら、受け入れるしかありません。

今まで、親は永遠に元気に生きていると思っていた私も、いよいよ覚悟をしなければならず、なんとなくその覚悟とやらができてきたと思ったら、父に対してヒドイ娘になっていました。
というのは、会話の中で「まだ死んでないのだから」とか「レンタルの介護用品を返すときに」とか、父がまもなく死ぬことを前提としたセリフを無意識に父に対して口にするようになっていました。
そんな言葉を家族が無意識に言うのを聞いたらは人は寂しいと思うと思う。

人の死を意識するというのは、簡単なことではなさそうです。

■父のガン

ゴールデン街で流しのカレー屋デビューし、代官山のライブハウスで2回目の仕事の当日、父が入院しました。
ライブハウスに入る直前に母からのメールで、父が救急車で運ばれICUにいることを知り、私は今日のカレー屋の仕事をキャンセルしようかと考えましたが、母や妹と電話で連絡がとれず、その後メールもないので、仕事を遂行することにしました。
ライブでは、ローリーのバンド 卍manji がすごく良かった。

点滴と輸血で父は少し元気を取り戻したのですが、胃ガンが発見されました。
下血を止められるかもしれないということで、放射線治療をはじめました。

私は3回目の流しのカレー屋の仕事が決まっていましたが、キャンセルしました。

ガンって良く耳にする病で、ガンになった知人もたくさんいるけど、私はまったくの無知でした。
私だけでなく、家族全員がまったくもって無知でした。
あわてて、看護師や医療系職業の友人に聞いたり、本を読んだり、ネットで調べて勉強しました。

バカな話ですが、今まで私は、家族は永遠に元気に生きているものと思っていました。

時間だけはたくさんある私が少しでも父や家族の役に立てればいいと、今はただそれだけしか考えられないです。


■2回目の出張カレー

先日ゴールデン街で出張カレー屋デビューしたのですが、次の出張は明後日に代官山のライブハウスに決定しました。
「電撃的東京2017」
わーい、近田春夫やローリーや平山みきが観れるよー。キノコホテルもすごく良いとの噂なので楽しみ~。

出張カレーはこの先も、臨時の仕事兼趣味として続けますので、どうぞ気兼ねなくご依頼くださいねー。
15~50食規模でできます。

■ありがとうございました

8月27日新宿ゴールデン街納涼祭でのカレーバーは盛況で、無事にカレーは売り切れました。
お越しくださった皆様、心から感謝します。どうもありがとうございました。
お越しいただけなかった皆様、私のカレーを召し上がっていただく機会がまたあれば、うれしいです。

今日の私は、激しく二日酔いでした。
納涼祭が終わってから、ゴールデン街で朝まで飲んでました。
こんな時はカレーが食べたい!

自分でカレー屋やってるときは、味見以外はカレー食べるの嫌だったのだけど、たまにしかカレーを作らない環境になると、自分の作るカレーが美味しいなー食べたいなーって思えます。

カレー屋やめてから、カレー作りが楽しくなりました。

リサ婆

カレー屋歴3ヶ月
バーのママ歴
中野で4年
歌舞伎町で11年
海外旅行歴
人生の中で延べ約4年
約50ヶ国
春から間借りでカレー屋を始めましたが、7月31日閉店しました。

!注意!お願い!
本文中、イスラム教を国教とした国の事を「イスラム国」と書いたのがたくさん出てきますが、それを書いた時点ではまだイスラム国(ダーイッシュ、ISIS)が無かったため、そのような表記になっております。
ですので本文中にある「イスラム国」は、ISISとは関係なく「イスラム教の世界」「イスラム教を国教とする国」というニュアンスでお読みください。

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